小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

ある種の片付け

手帳についてああでもないこうでもないと頭を悩ませては落ち着き、また別のものを見つけるとやっぱりあっちの方が…いやでもこれが…と頭を抱えるのが最近の常である。

後から読み返して楽しいとか、そういうのも0ではないけれど1あるかっていうとどうだろう。10あるうちの0.5くらいかもしれない。

何故書くといえば勿論楽しいからなのだけど(こうやって目の前の薄いノートに向かってテレパシーで会話するかのごとく一方的に文字を打ち続けることも含めて)、その整理する作業が何よりも好きなのだと思う。

頭の中に理想があって、それに上手いことはめて作るパズルのようなもので、そのパズルの絵は変わっていることもあるし、思っていたより綺麗なことも残念なこともある。

その形跡すらも片付けておきたくて敢えて残したままにしている。

こういうことをするから整理整頓も得意かと言うとそういうわけでもなくて、例えばペンや雑誌であるとか本であるとか、ぱっと見てすぐに分類できるものはテンポよくしまってしまえるのだけど、1つだけあるクリップとか使いかけの電池、ホチキスの芯なんかの非常に細々したものは得意でない。

職場の引き出しだと出来るのに、家では出来ない。そういうものがごちゃっと視界に入った途端、色々と放棄してしまい、小さなプラスティックのケースにまとめて放り込んでしまうのだ。

今までは全てに於いてそうだった。この頃はイメージを絵という形にすることに関して、うまく片付けられるようになった。不思議なものである。

そして多分それはずっとやりたかったことで、片付けたかったことなのだろう。

描き終えた後の吐き出したぞという爽快感は、今までにないものだった。

 

誰のためのものでもない、言わば自慰行為のようなものだと思う。

このブログも、元々は自分が形にするものを"インターネットという媒体"が拾ってくれればそれでいいくらいに思っていた。

それは高校生の時に始めたブログからずっと思っていたもので、例えば今この部屋で何かを呟いても誰も知る由もないけれど、ブログというものはアップロードという形で一度飲み込んでくれる。

反応があるかどうかなんてことはどうでもよくて、ただ、一度飲み込んでさえもらえたらそれでいいのだ。

勿論こういうところから始まる繋がりもあるし、他のブログも読んだりコメントをしてみたり、逆に自分がそうされることもある。それはそれで楽しんでいる。

読者が増えたとか、コメントがきたとか、こういうことを書いておきながらそれらに喜んでみたりするあたり、どうしようもなくいきものだなと思う。