小春日和

だめなひとの雑記帳

その海は、

とても自由だった。

平面に平面として描かれた、奥行のない小さな海ではあったけれど、小さい魚や大きい魚、ちょうちんアンコウ、海草や磯巾着なんかが共存していた。

海が好きだ。好きだったんだと思う。水辺も好きだったかもしれない。

私が描いていた絵は、大体、海か水辺か、適当な女の子だった。

今それらを描いたら、一体どうなるのだろうか。

 

私はとても浅はかだ。勘が鋭いとか、人が見ないものが見えるとか(幽霊ではない。見えたら真っ先に父親に会いに行く。あ、でもそれだと成仏できないね。だめか。)、賢いとか、今まで色々言われてきた。

それに、気をよくしてみたりもした。けれど、所詮人の言う言葉であり、表現されただけなものであり、それが私の一部として存在するのかと言われると疑問だ。第一、何の役に立つのか。どこかのバンドのボーカルじゃないけれど、名前さえあれば、いや、名前すらも不要だと思う。それこそ指紋だけでいいとも思う。

そういう極端な思考(と言われることが多いから、言わないけれど)をするから、判断や生き方も割とそういう風になってしまう。そして皮肉なことに、勘のようなものがあると大体それは当たってしまう。勘というよりも、そうであることを察していると言った方が近いかもしれない。今回の職を手に入れるときもそうだ。逃げる段階から、いつもよりも妙に落ち着いていた。大丈夫なことを知っているようだった。それがまた信じられなくて、何を馬鹿なことを考えているんだとも思ったけれど体は動かなくて、結局そうなるようになってしまった。なるべくしてなった、そんな感じだ。それに身を任せているだけなのだから、どうしようもないな、と思う。

 

ある程度のどうしようもないことはしてしまったし、今もしている。それを、"元"に戻そうとしている。どうしてこんなに弱いのか。

 

今日の収穫の話をしよう。

f:id:harudama:20140811110502j:plain f:id:harudama:20140811110438j:plain

 ナツイチの季節だ。買うにしろ買わないにしろ、私はこの季節が好きだ。

釣られてもくじや裏表紙、あとがきや解説に目を通してしまい、2冊、手にとってしまった。が、ただでさえ積読が多い。1冊は違う機会にしようと泣く泣く手放し、レジに立った。カバーをどうするかと聞かれ、お願いした。ピンクだった。ピンクに、黒のねずみのようなキャラクターが描かれている。なんだろうか。傍に置いてあるしおりも思いっきりピンクで、しまった…と思った。1つは使って、1つは何かのコラージュにでも出来るのではないかと思ってしまった。もう1冊買おうかとも思ったが、それだと色々とおかしくなる。結局、ピンクのしおりを1枚さらって、レジを去った。

さがしもの (新潮文庫)

さがしもの (新潮文庫)

 

 買った方が、これだ。角田光代っていうと、教科書に載っていたか載っていないか忘れたけれども名前は知っている、そういう存在だった。文庫などは読んだことがなかった。表紙とタイトルが気になり手に取った後、ぱらぱらともくじやあとがきを読み、当たり前かのように左手に持ち、次の本を探していた。

本当はアンソロジー…でいいのだろうか、色んな方の短編集もあって、そちらもかなり気になったのだけど、気になる作家が二つに分かれていて(二種類あった)断念した。

 

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

もう一つは、これだ。山田詠美の文章は1冊しか読んだことがないのだけど好きで、色々読みたいと思っていた。いずれ必ず読むだろう。 

 

こうやって色々と書くようになって、私はほんとうに何も喋らないんだなと思った。

「分からなかった」「気付かなかった」と、よく言われる。気付かせてはならないのだと教わったこともある。言った張本人たちは、割りと吐いていたことを後から思い出した。そんなものなのだ。

頭の中が忙しすぎるのだろうか。口に出す暇がない?どう言っていいか分からない?そもそも私のつまらない事情をその人に伝えてどうなるのだ、ということもあるかもしれない。私は、小さな巻貝に入って部屋の隅に転がっており、いないわけではないのだけど、そっとほうっておかれるくらいでちょうどいいのかもしれない。たまに触手を伸ばして遊びながら。本当は寂しがり屋だ。だけど、輪に入ったら入ったで、そこは私にはまぶしすぎる。私がそんなところにいてはいけないような気になる。申し訳なくなる。だから、それくらいでいいのだ。