小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

理由

「自分は何故生まれてきたんだろう」と悩み考えるのは、厨二病の一種だと言われている。だとしたら私はきっと、生まれて死ぬまで一生厨二病のままなのだろう。

生まれて自我を持つようになった頃にはもう、自分に違和感を持っていた。肉体、声、精神、その他存在に関わるもの全て。それは言葉にも及び、一度だけ父親を困らせたことがある。「犬は何で"いぬ"って名前がついたの?」と。返ってきたありきたりな答えには、これ異常ないほどの困惑がこもっていた。以来、私はその手の質問はしていない。未だに、私が私をやらなくてもいいのではないか、と思うことがある。

 

元々私は、感覚というものに関して、突出して優れているらしい。異常の範囲に入るといわれたこともある。それが記憶力だけとか単一なものならいいのだが、映像での記憶、声の記憶、体感の記憶、筋肉の動かし方、空間の認識、イメージなど、かなり広い範囲に及んでいる。実際神経衰弱の後半は阿呆みたいに強いし、高校の授業を一部脳内再生できるし、部活では先輩のフォームを取り込みながら先輩との体格差を埋めるプレイ方法を考えていたし(実際に成功した)、ライブのMCなんかも一部そのまま覚えている。

それでも私は大学にも行っていなければ、何かを成し遂げているわけでもない。何故私のようなものが、この手のものに関してものすごく優れているのか…そんなことを考えていた。もしかしたら、一生かけて何かをするためのものだろうか。だったら仕方なく生きていようと思ってもいいかもしれない。

 

突然、「はい、今までのは全部夢でした!よってあなたも存在しません♪」なんてことになっても、私は信じてしまうだろう。そういうものなのだ、と。今も信じている。もしかしたら死ぬ間際かもしれないし、数分後かもしれない夢宣言を。宣言がなければないで、その頃にはもう息絶えているだろう。それでいいのだ。