小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

ぐったり三連休

最近の休日は、半分以上を睡眠に奪われている。それだけ忙しいし眠いわけだが、家のことを何一つまともにやっていないのは問題だ。家計簿を1ヶ月もつけていないなんて考えられない。辛うじてレシートを貼るだけの方は、2週間前が最新の状態だ。ただ、睡眠欲と好ましい食欲とは言えない食欲に流されるように生きている。
体を動かすのは嫌いどころか好きだし得意ではあるのだが、その気力もない。楽しいこともわからなければ、食べ物の味もわからない(味は感じるが、それで終わる。一瞬だけほっとするくらいだ)。何が乱れているのだろうか。

テレビの映らない生活を送るようになって、どれくらい経つだろうか。この頃は、You-Tubeで過去のお笑いを観て笑うことをしている。笑うたびに表情筋が引きつるのが気になりだしたからだ。前職まではとにかく声を出したし、外部・内部共にコミュニケーションを取る機会が多かった。今はゼロではないが、当時に比べると激減している。
別に今の職が楽しくないわけではない。個人個人で業務をこなすので、そういうタイミングが少ないのだ。

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確かに何度も帰ってはいるはずなのだが、随分長いこと帰っていなかったような気がするほど、そういう時の目で1号が見つめてきた。初めはその違和感に気付けずに、急に年を取ったのか、それとも…と真面目に考えていた自分が阿呆らしくなる。いなかったんだから、そういう目に見えるに決まっていた。
おなかが空いたとか、疲れたとか、そういうものはどこで感じるのだろうか。どう考えても"そう感じさせられている"としか思えないし、実際にそういう感覚しかない。二重人格だと言うつもりもないし、統合失調症とも違う(その気は0ではないらしいが)。
今まで平気だったものに急に本能的な怖さを感じさせられることもある。平気と思おうと思えば平気だと思うのだ。だけど、怖がらなければならないのだと思わされている気もする。本当に自分が思っているのかと聞かれると自信がないほどに。
自分というものは所詮概念で、実体が存在するわけではないというのはよく分かっているし、その2つのものは結局自身の一部だと言うことも、理屈的には理解できているが、感覚的に理解できないのだ。
生活していて何かを考えている時、ふと、誰かの声が頭の中で再生される。それは自分の声でもないし誰かが実際に発している訳ではない、誰かが語りかけてきているわけでもない、ということも理解できる。それを誰かの声が聞こえると認識してしまった時、統合失調症などになるのではないかと考えたこともあるし、やろうと思えば出来る。
感覚もそうだろうか。そう思わされている=誰かに支配されている、コントロールされていると認識してしまえば、そうなってしまうものだろうか。
というようなことを、1日1回は考えているような気がする。

そういう風に自分を保ちながら、その度に自身を認識させられることに疲れているのかもしれない。からっぽのままで生きることは出来ないのだろうかと、たまに考える。実際に、本当にそうしたいかは別にして。