小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

理解できないのは

己の概念に亀裂が入るからだ。

理解の幅は広い方がいい。私もまだまだ狭い方だろうとは思う。広げるチャンスは拾いに行こうとは思っている。

笑いのツボが分からないと言われる。それを面白いと言ってくれる人もいれば、いじる(という名の貶し)要素としてつついてくる人もいる。それは別に構わない。狭いんだな、と思いながら流すだけだ。たまにまちばりを1本、しれっと投げ飛ばしてみたりはするけれど。

人と一緒のことが素晴らしいと思わないし、かといって違うこともまた、素晴らしいと思わない。会話の上で一般的な概念というものがただただ一人歩きしているだけで、そんなものは存在しない。実際に、一人一人にランダムで聞いてまわったらズレが生じていることだろう。その時点で他の人に影響を受けていようが、それは紛れもなくその人の概念であり、その人のものだろう。そんなものに多数派少数派、正しい正しくない、素晴らしい素晴らしくないの言葉遊びに絡まって迷い混むほど、しようもないことがあるだろうか。
それでいいのに、そのままでいいのに。
言葉をつかい、話し、操って紡ぎ出すほどにその考えは色濃くなっていく。何を話すにも、聞くにも、言葉の意味を考える。会話ではその時間が満足にとれない。だから人と話すのは苦手だ。嫌いなわけではないけれど、大半の会話というものはそれにひっかかる。有りがたいことに、こういう性質のものなのだと理解してくれている人となら平気なのだが。

このような記事を書いている辺り、私も少しばかり入ったヒビを埋め合わせたいのだろう。剣山になんか、触らなければいいものを。