小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

めんどうくさいのだ

あれも、これも、考えることすら面倒くさい。どうだって、いいのだ。それを外にも出しかけてしまった。

止めどなく芋づる式に溢れだしては邪魔をする記憶の濁流の中で、はなうたを歌いながらやり過ごそうとするのだが、すぐにのまれてしまい…ということを起きてからずっと繰り返している。雨が、酷い。この際、雷のひとつでも鳴ってくれた方が清々しいくらいだ。

知人と同じお店に通っている。2回前にいったときと前回と、店員さんは恐らく同じ話をしたのだろう。忘れるのは健全なことだ。しかし私は2回とも覚えていて、その出来事が2回あったのだと認識した。あってもおかしくないようなことだったのだ。先日知人と会ってその話をしたところ、どうやら1回だけだったようだ。時期を逆算しても合わないので、1回と判断した。
そんなことは日常茶飯事で、ちょっとしたことも何故かずっと覚えていたりする。何も、保育園の園庭で、歯医者の通院で遅れてきた元教育実習生の先生に、どうしたのかと聞いたことまで覚えていることはないだろうに。
残念なことに、記憶の容量を超えることは、ない。全てを忘れられない訳ではないから幸せな方ではあるのだが、それらが浮かぶ度に片付けなければならないのは、精神的にも決して楽とは言えない。どれくらい覚えていてどのくらい思い出すのが平均的なのかは分からないかなんとも言えないが、映像面に強いせいか、印象が全く薄れないのが嫌だ。