小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

かたくなる

Spitzを聴きながら、パリパリに乾いて目蓋に貼り付いている眼球を潤して、やっぱり電車に揺られている。
転職を考えたり、実行したりする周りを眺めながら、色々と考えてみた。
やりたいことは、腐るほどある。そして多分それは、全部繋がっている。それだけに、なかなかやっかいだったりもする。
方向性は見えているが、それをするとなると、厳しい状況にはなるかななどと考えてもみるけれど、そもそもこんな私なので、それすらも気付かずに泳いでしまうのだろうと、自分をかいかぶってみたりもしている。

「どうせ死ぬのだから」の言葉で、どれだけ自分を掬い上げて、どれだけ放り投げられただろうか。
恐らく命綱は、まだついたままなのだけど。

感覚が強いからなのかは知らないが、弛緩することができない。つり革をしっかりと握りながら、右手は“弛緩しているであろう手の形で”しっかりと固まっている。
一部の力の抜き方が分からない。困った話である。
当然、心電図では毎回注意される。皆がみんな弛緩できると思うなよ、と思う。
結局脚をゆらゆらと左右に揺さぶられて、計測される。

普段ブログを書くときは、頭に流れる音をそのままに打ち込んでいる。多少の調整はするものの、ほぼそのままだ。
その流れでこの話が出るということは、恐らくちゃんと繋がっているのだろう。

記事を書く頻度が激減してしまったので書けるかどうか不安になるのだが、多分、まだ大丈夫だろう。
そして、まだ大丈夫だろうと思うことは、大丈夫ではない証拠だ。
騙されているのか、騙しているのか…人間のつくりは、面白いと思う。