小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

おかえり、視界。

ここ数ヶ月、衝撃に耐えられなくなった中身を守るために張った随分大きなシールドは、数日前にあげたお経をきっかけに、音もなく一瞬で消え去った(お経といっても、他界した身内にあげたもので、新興宗教の類ではない)。

シールドはなくなったと思い込んでいたのだが、もっとリアルな世界が再び舞い戻ってきた。”触れると思える”という感覚を目印にしていたのだが、それもどうやら大分狂っていたようである。久しぶりに見た1号の顔は、呆れたような、久しぶりに見たような、何とも言えない表情をしていた。

ドラマなどによくある、全く知らない世界に飛ばされた人のような感覚で本屋を見回し、そのまま出てきた。

それほどのシールドを数ヶ月も保ち続けていたのだから、それはそれは面倒なものを色々吸収してくれており、その反動を受けて今猛烈に頭が痛い。それに、体もとても疲れている。

この頃は、ぶつかってくる他人に舌打ちをして自己嫌悪し、そのストレスで舌打ちを…という最低なループにはまりこんでいた。

それも一度は手放せるので、この1週間が勝負である。

 

数ヶ月の間でも欲しいものはぽつぽつとあり、それは忘れないようにしっかりと残しておいた。視界が良好ということは頭の回転も良好ということなので、何かを吸収するにはいい時期だと思う。

 

チャンスや転機とは、自分で掴むものだと考えている。その中には私の場合、直感も含まれている。

その話には魅力的な部分は何もなく、話の内容を聞く中で、いつかの彼を連想させた。

もちろんそこまでふわふわしたものではないのだが、それとは別の何かが確かにあった。

自分がが魅力と感じるものを、必ずしも相手が魅力と感じるとは限らない。もちろん、その逆も然りである。その考えは、この仕事をする中で外せないものの1つだと、私は考えている。

根本を見抜けていない、見失っている、理解できていない、使えてすらいない。

そういうものを相手にする気はないのだが、表向きではふらふらしているという風に見られやすいのか、そういうものを惹きつけてしまう。

本当に振り回しているのは、誰なのか。そしてそれに振り回されているのは、誰なのか。紛れもなく、自分自身である。

丁度いい時期に、充電期間ができたものだ。