小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

強く厳しいその歌を

聴きたくて何度も頭の中で再生するのだが、ipod touchの姿を見てはそのまま目を離し、漸く手にしたかと思えば充電がないことに気付き、充電器をさしたらさしたで更新せねばならず、きっちり100%充電されて更新も終わる頃には勇気がなく、こうしてブログを書く手の横においている。

 

冷えた部屋で冷えた体に流し込む冷やしうどんはどう考えてもいいものだとは思えないのだが、せっかく作った作り置きをほとんど減らせず、仕方なしに口当たりのいいものを見繕っては流し与えている。それゆえ更に冷えた両手は不思議な感覚をしており、女性の冷たい手を思わせるような雰囲気をかもし出している。

女性の手は冷たいという先入観が、なぜかずっと残っているのだ。

 

ここ数年は1つのものを削りながら追いかけていて、削れていることに気付かずに追いかけるものだからおかしいと思う頃にはもう大分磨り減っていて、あきらめようにもその勇気もなく、情けないことに手伝ってもらいながら修繕をして、また転がるということを繰り返している。これがずっと続くのかどうなのかは、全く分からない。

 

今日は特に頭が働かず、明日こそはと思って何とか布団から抜け出して切れた薬を摂取しなおし、少しは何かをしようと思ったのに、結局布団にいるかネットをしているかという生活になってしまっている。

書くことが好きなはずなのに手帳には申し訳程度しか書かず、ここ最近あまり書けていなかったのが忙しさのせいではないということも証明されてしまった。

ビニール袋になまこを入れて空気を抜いて縛ったもののように、頭よりも一回り小さな入れ物にぴったりとおさまるスライムか何かに似たゲル上のものが頭の中でぐにぐにと揺れているだけで、私がここにいるのか何を考えているのか何をしているのかも曖昧にされ、どうしようかと思っているところである。