小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

昔住んでいた家の隣には、昔ながらの庭のついた古くて広い平屋があって、そこには寝たきりのおばあさんとIさんというお手伝いさんが住んでいた。幼い頃から大人にくっついて回っていた私は、しばしばその家を訪れ、好奇心を抑えられずに様々な悪戯をしたのだが、Iさんはいつも「これっ!また、はるまちゃんはおいたして!」と怒るだけで追い払いもせず、遊び相手になってくれた。ある雷雨の日などは、停電でうろたえる私と一緒にいてくれたこともある。祖父からひよこを1羽分けてもらった時は、保育園から帰るとひよこを連れて遊びに行ったこともあった。

おばあさんは、私が5歳の頃に亡くなった。その頃はよく分かっていなかったのだろう。泣いたかもしれないし、泣いていないかもしれないのだけれど、恐らく泣けてはいなかっただろう。それは制服が赤く染まったばかりの秋のはじめだった。その後、1年くらいだっただろうか。Iさんも当時の私の感覚では遠いマンションに引っ越していった。母親に言われ、りんごを3つビニール袋に入れて持っていき、「お母さんから」としか言えずに帰ってきてしまった。

その日本的な平屋には1箇所だけ絵本に出てきそうな洋風の扉がついているところがあって、それが裏口・勝手口になっていた。少しくすんだ、ねずみ色を含んだような水色で、鍵はアリスなんかに出てくるような、十六分音符の符尾をシャキッとさせて符頭を真ん中に持ってきた形をしたものだった。鍵穴も勿論、前方後円墳の形をしていた。いつも見ている鍵穴なのに、一番記憶に焼きついているその鍵穴は、りんごを渡したときのものだった。

 

話は全く違うのだが、思い出したのでついでに書いておく。

子供というのはとても残酷で、大人もまた、残酷である。

その時飼っていたひよこを連れて広場や畑に行き、バッタやミミズを食べさせていた。飼料なんてものは、知るわけもなかった。いや、そういうものを食べるのはみたことがあったのだが(保育園でも飼育されていたし)、虫を食べているということしか浮かばなかったのである。

保育園児が4人立つと頭だけが出るような大きさ・深さの木の箱状の囲いの中で、そのひよこは飼育されていた。ある日保育園から帰って聞かされたのは「猫につれていかれた」という母親の一言と、「ちょっと陰に行ったところにね…」「だから見えなかったのよ」と見苦しい言い訳を続けた挙句、「猫がお母さんのところにつれて帰ってくれてるはずだから」というふざけた一言である。

私もまた当時からふざけた子供だったので、「つれて帰ってくれてるといいな~」なんて花畑な発言をしていたが、そのときの両親の微妙な雰囲気や、そんな訳はなく食べられてしまっているのだということも分かっていた。

もしかすると、1号を私の見ていないところで散歩に連れ出されたりすることに猛烈な嫌悪感を覚えるのは、ここからきているのかもしれない。もし私がひよこをきちんと見ていなくて連れ去られたのなら、それは私の責任であり、ストレートに受け止めることができる。いつもきちんと見てなさいという母親がそれをやり、謝罪もなく見苦しい言い訳を並べだしたら、私の悲しみは一体どこへやればよかったのか。悲しんだところでひよこは戻らない。仕方ないと思えるようなタイミングもない。私はひよこが好きで、彼女は自分のことが好きだった、それだけのことなのだが。