小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

雑音

10月の半ば製造なら余裕だなと放り込んだ、容器に残り1/3しか残っていなかったマヨネーズは間違いなく賞味期限切れだし、まだ1月だしとも思ったけれど、よく考えなくてももう2月だ。最後にマヨネーズを買ったのは近所のコンビニで、そのときもポテトサラダを作ろうとしていたのに、それがいつのことかは全く思い出せない、と書いたところで確かまだパーカーを羽織るだけで大丈夫だったことを思い出したので、もしかすると本当に製造日だったのかもしれない。足りない分のマヨネーズは、明日スーパーで買うことにする。

 

あれが狂言でなければという前提だが、いわゆる無理心中という形で知らない間に私は一度死んでいる。覚えている範囲で殺したのは、中学2年の半ばだった。死ぬ気になれば何でもやれるなんて言うつもりは毛頭ないし、寧ろそんな言葉はくそくらえだと思っているのだが、死んだと思わなければ生きていけないという事実はあった。

誰も助けてくれないし自分で生き抜かなければならないということは小学校低学年で嫌というほどすり込まれたし、それは、自分さえしっかりしていれば生きていけるのだということでもあった。結局勇気がなく、ニート1号を相棒に進むことにはなったのだけれど。

 

何故こんなことを書いているのかは分からない。ただ頭の中の早口な電光掲示板にうつる文字をひたすら追いかけているだけなので、自分の中の片付けという意味では無駄ではないのかもしれない。所詮、雑記だし。

心臓に絡まった何匹もの寄生虫を一匹一匹ほどきながら取り除かなくてはならないのだろう。そのまま絞め殺してくれたらいいのにとは何度も思ったし、実際そこに落ち込んでしまって私かわいそうになってしまえればとても幸せなのに、意地っ張りで頑固な私は、それはしたくはないらしい。呆れたものである。

 

薬が切れるたびに鬱々とし始めて死にたくなるという現象がとても薬物中毒のようで、蝕まれているようで、ざまあみろよと思ったりもする。もちろんきちんと服用するし、元に戻りたいと思っている。思っていてもやはり、私はまだ殺し足りないのだ。