小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

死神と背中合わせに

 

1号を自転車のかごに入れて病院に連れて行った帰り、一時停止線のみで信号のない、大通りへ合流する横道から、車が1台結構なスピードで通り抜け、軽く右を確認しただけでほぼ減速せずに左折していった。

こういうことは良くあることで、別にそれに対してはもう何も思わない。

ゲームで言う、フレーム回避のような感覚を覚えることがしばしばある。ヒヤリハットとは違う。モンハンで言うなら、モンスターが突っ込んでくるのが分かっているけれど、軸がずれているからほぼ動かなくても被弾しないとか、そういうレベルの話だ。

その時私は自転車のかごに自分が生きるためだけに守っている命を乗っけていて、その命と共存している箱の中には更に生きるためだけに守る命がもう2つ待っている。

逆に言えば私は、その3つがなければ、分かっていた上で回避をせずにそのまま突っ込むことをしてしまうだろう。それは別に自殺願望があるからだとか、そういうことではない。

恐らく認知療法の専門用語になるのだろうけれど、“自動思考”というものがある。

私は元々生きていること自体に強い罪悪感があって、それが教育という形でより濃くなり、“私なんかはそうなってしまって当たり前なのだ”という思考にいつも足を引っ張られ、悪い方へ落ち着いてしまうところがある。

それは自動思考を経由して流されるようにそうしているなと自覚できることもあれば、自覚的ないこともある。流石に命にかかわるようなことがあれば、ニートたちが生きている以上、避けるようにはしている。

自動思考自動思考と言っているが、恐らく興味も隠れているのだろう。

あの速さの車と衝突した場合、良くて自転車の左斜め前、悪くて真横からになるし大通りに放り出されるのだろうけれど、そうすると運が悪ければ更に轢かれることもあるわけでということを延々考えてしまうのだ。