というものを正面から受け止めるというのは、なかなか大変なことである。
誰もそうだといえばそうなのだが、1~3割しか伝わっていないということを常に認識しながら、自分の意識に入らない程度の適当さを保ちつつ、たまに出てくる欲求を出しかけては慌ててしまいこみ、隙間風のように人と人との間をぬって通り抜けるのが毎日のことである。
いくら意識に入らないようにしていてもいつもそれができるとは限らないので、時々うっかり失敗しては蒟蒻のようにぐんにゃりと部屋で丸まってしまう。
すごく疲れたのだ。
ほんの1%を見て、その人にしか知らない100%の枠の中に押し込められることに。
はめるだけなら、好きにやってくれて構わない。頼むから、すり合わせようとしてくるな。お前の概念はお前だけの、私の概念は私だけのものである。よそはよそ、うちはうちと教わらなかったのか。家で子供にそう言ってたりしないのか。
隙間風をやっていると、すごく疲れる。それは分かりきっていた。だからなるべく最小限に抑えていたこともあったのだけど、それはそれでとても面倒くさかった。
結局、何をやっても生きづらいものは生きづらいのだ、社会にいる以上。
もしかするとこれを、五月病というのだろうか。
でも幸い、何かを感じとって反応ができるくらいには回復しているようだ。
もしここが一軒家の地下室だったとしたら、私は気がすむまでこうしてみたい。
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⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
`ヽ_つ ⊂ノ
ジタバタ
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⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
`ヽ_つ__つ
ジタバタ
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(`Д´ ∩ < ヤダヤダ
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ヽ∩ つ ジタバタ
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⊂⌒( つД´) < ヤダヤダ
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ジタバタ
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⊂⌒( _, ,_) < ヤダヤダ…
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ヒック...ヒック...
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`ヽ_つ ⊂ノ zzz…