小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

一番になりたかった話

中学生あるいは高校生くらいからだろうか。

学校の成績の、音楽・国語以外は特に何がずば抜けているわけでもない平均少女だった私が、気付けば一番ばかりを目指すようになっていた。

一番といっても自分の情報の中での一番という、都合のいいんだか悪いんだかよくわからないような一番だ。

今も根本は変わっていないのだが、性質は少し変わったのかもしてない。

なぜそうなったかといえば恐らく母親で、数学と短距離とピアノを得意とした母親は、私が何かしらでそれなりの記録をたたき出すと決まって、自分はいかに優れていた学生だったかを語りだすのだ。もちろん薬学部に合格するような人だからそれなりではあったのだろうけれど、受験というものをまともに受けたことがない私にとっては、よくわからないものの一つだ。

そういう背景があったのと、中学生以降から特に色濃くなってきた馴染めなさを突き放すために、人が受験勉強にいそしむ中、推薦で決まった私はただその学校の特別進学コースの合格ライン同等の学力をつけるべく、ひたすら勉強していた記憶がある。

受かっていたのは当然、普通科なのだけれども。そしてリタイヤして、通信制高校を卒業した。その時も、志だけは馬鹿みたいに高かった。

 

仕事は仕事で、セールストークだの自分の売場での販売数だの、そういう数字で一番を目指していたし、制作職では自分の中でのクオリティと仕事の早さのラインを決めて、それを達成するべく小さな目標をひたすらつぶしてまわっていた。

 

こう書くとただの真面目人間なのだが、その過程がとても楽しく、どちらかといえば目標なんかはすべておまけで、楽しむことばかりに重点を置いている。

必然的にそうなってしまう、というべきか。

なので、どんな仕事でも誰より楽しめる自信がある。反面、仕事を仕事と思っていないので、いろいろなことに陥りやすいのだが。

仕事を仕事と思っていないというのは、雑にやるとか遊びながらやるとかそういう意味ではなく、作業をきっちりとこなすのを最低条件としてその上でクオリティを上げたりタイムアタックをしたり、そういう自分だけの楽しみを取り入れることであり、それによって自分のレベル上げをしているため、仕事と思う暇がないのだ。

 

もしかすると私は、子供のころから常に、自分の中で自分の理想の一番を目指していたのかもしれない。それになったら何が起こるとかはないのだけれど、そこを通ることで自分から何が生み出されるのかについては非常に興味がある。そしてその一番に一生たどり着くことがないこともよくわかっているつもりだ。理想なんて延々更新されていくものなのだから。