小春日和

だめなひとの雑記帳

鍵探し

色んな物事をほんの少しずつ試しては、あれでもないこれでもないと、まるでたくさんの扉を小さなカギで開けては次へ、開けては次へと開け放っていくように過ごしている。

この前は久しぶりに正解を引いてブログなんかを書けたし、その次はほんの少しだけれど絵を描くこともできた。

 

まだ、電光掲示板の調子が悪いらしい。

ここまでしか書けなかった。

脱落

結局3ヶ月で脱落してしまって、元通りの生活を送っている。望まない方の。

もっとシャキシャキしてたのに、あれもこれもやりたいと思うほど元気だったのに、今では恐ろしいほど何もしていなくて、ゲームすら面倒に感じられるものの、有り余る時間をどうにかしたくて、動画を観たりなどして悪戯に消費してみたりしている。

 

本当は今日も悪戯に消費してしまって、ブログなんて書く気もなかったのだけれど、はてなから1年前~数年前の今頃に書いた記事についてメールがきていて、そのつながりがいろいろと面白かったので、こうしてパソコンを開いている。

ADHDだということがはっきりして、ちょうど1年だったらしい。

相変わらずやる気が湧いてこなくて、かといって落ち込むということもなく、超低空飛行でなんとか生きている。

 

これくらいの時期に戻れたらいいのにと思うくらい、楽しくやっていたと思う。

しょうもないことを見つけては摘み上げてニヤニヤする生活が、とても好きだったのだ。

 

ともだちが欲しかった時期もあったらしい。

自分の書いたことだから当然理解はできるのだけど、当時とはまた感覚が変わっているのが面白い。

結果的に私は、ともだちを作ることはできなかったが、理解者を2人見つけられた。

それは、ADHDではない人から見たらともだちに過ぎないのかもしれないけれど(読む人の定義によるのでよく分からないが)、お互いの距離をはかりながら交渉しあいながら付き合えているので、どちらでもいいのかもしれない。

 

何が書きたいのか分からないまま書いたので、後になっても訳が分からないだろうと思う。けれど、きっかけは大切にしようと思うので、このまま残しておくことにする。

明けましておめでとうございます、すらも

書いていなかった先月だったのだなと、今ぼんやり感じている。

文章の書き方なんてどこかにすっ飛んでしまったようで、自分の中に何もなくなってしまったようで、なんだかぽっかりと穴の開いたような感覚だ。

今年も、手帳を買いました。

お題「愛用している手帳」

ほぼ日手帳オリジナルと、WEEKSのサンドベージュ。

なんとか来年から働くことが決まって、そのためにWEEKSを追加。

メモページが多いから、メモにもできるんじゃないだろうか、と考えている。

オリジナルは、使いこなせるか分からないけれど、前みたいに使えたらいいなぁなんて思っている。

 

私の中からどんどん色んな興味が消えていって久しいのだけれど、手帳を買おうと思うようになるくらいまでには回復してきてるようで。

仕事も手帳も、頑張りすぎずにやっていけたらいいなぁ。

 

それでも覚えていたようで

書いたら書いたで覚えていてくれるのだから、はてなはあまのじゃくか何かなのかもしれない。

久々にログインしたはてなは、しばらく何も書いていなかったにも関わらず、今月のPVが100を超えたことをお知らせしてくれていた。

ブログの存在は頭の片隅にずっとひっそりと佇んでいる程度には覚えていたのだけれど、なかなか書けなかった。

電光掲示板は、気まぐれにガタガタと動いていたように思う。ただ、前のように書けるかどうかが分からなくて逃げていたのかもしれない。

元々大した文章など書いていないのだから、逃げるも何もないのだけれども。

 

昔から、こうはなるまい、ならないだろう、と考えた方向に物事が進むことが多かった。潜在意識に沿って行動していると言われればそれまでなのかもしれないけれど、つまり今、そういう生活をしている。

必要であってこうなっているのだろうと頭で考えることは容易いのだけれど、なかなかいろいろなことがついてこず、ADHDの二次障害をひきずりながら、なんとか生きてしまっている。早い話が、ぐちゃぐちゃである。

 

どうしたものか…そればかりがぐるぐると頭の中をせわしく飛び回っている毎日だ。