小春日和

だめなひとの雑記帳

月刊中だるみ

月末に疲労に気付き、月初に休みを取る。

そのぬるま湯に慣れてしまって、半ば後半から目標達成のために頑張りだし、そしてまた披露して月初に休みを取る、そんなサイクルで活動している。

果たしてそれがいいのかどうかは分からないが、休んでいる間はブログや絵などに集中できるので、これはこれでいいのかもしれない。

 

いわゆる主婦業というものも同様に、しんどい時はネットスーパーや総菜に頼り、元気な時にせっせと作り置きをする。

幸い、お互いが自分のことは自分でする前提で無理な時は補い合うという考え方で生活しているので、衝突が一切なくてありがたい。

洗い物がきれいにしきれてなかった、これはやめてほしい、などもお互いがそのまま言えば「そうか、やり方を変えよう」に変わるので、こういうやりとりをしていると、家族も結構組織っぽさが強いんだなと感じる。

後は私がまともに稼げさえすれば、色々と捗るのだけれど。

 

今日は特にやる気が出ず、ちんたらと作業をしてはTwitterを眺め、またちんたらと作業をしてはゲームをし…という状態だったので、思い切ってやめてしまった。

使っているお絵かきソフトの使い方がまた一つ分かったので、収穫はあった。

 

珍しく、電光掲示板が動いていない。

最近は系統の違うブログばかり書いていたものだから、もしかするとスイッチが切り替わっているだけなのかもしれないけれど、調子が万全とは言えない状態なので、多少心配ではある。

とはいえ、私の中から完全に消えてしまうことはほぼないと思うので、またチカチカと点滅し始めて、やがて点灯するまでの間を楽しんでやることにする。

切り離すということ

最近、これがよくできているのではないかという風に感じるようになった。

それはそれ、これはこれという考え方である。

私の母は芸術肌系の人で、且ついろんなことがあったので、とても感情的だった頃がある。

その感情は、びりびりとした空気となって私に伝わるので、反抗期がくるまではいつも「いつ爆発するだろうか」と怯えていたような記憶がある。

反抗期になった瞬間もしっかり覚えていて、中学生日記でちょうど反抗期を扱う話を放映していたのだけれど、それを見て初めて私は「反抗してもいいのか」と思えた。

それくらい洗脳されていたのかもしれないが、それはまた別の話である。

そうして怯えながら、そして反抗を覚えて成長した私は、人の感情にとても敏感になっていた。

しまいには、感情どころかその人の動きで何を求めているかを察し、該当するものを渡すレベルだったが、それはとてもしんどかった。

自分以外の感情が自分に入り込んでくる。

感情は心の大きな動きである。

他人のそれまでを感じてしまったら、当然の話である。

それがいつからか、自分と他人をきっちりと分けて考えられるようになった。

いや、感情に引っ張られていただけで元々そうだったのかもしれない。

そして今も時々感情に引っ張られることがあるので、何も変わってないのかもしれない。

ただ、付き合う人間を自分で選べるようになってからというもの、生きるのが少し楽になったことだけは確かである。

人間関係に余計な気を使いたくないし、使われたくもない。

私にとって余計な気使いは、エネルギーを消耗するだけだからだ。

先々また変わるかもしれないけれど、ひとまず今はこれでいこうと思う。

分かってないフリ

色んなことを忘れられることが増えた。

というのも、何かしらの手続きが多いからなんだけれども、「名義変更と引き落とし口座変更」と伝えたのに、最初から引き落とし口座変更しか聞いてないですよという風にふるまわれたりする。

それ1つはとても些細なことなのだけれど、それが2つ、3つと重なると、それはもう面倒でしかない。

かといって、「名義変更と引き落とし口座変更とお伝えしていましたが」というと、そこで1つのやり取りが発生する。

それもまた、とてつもなく面倒くさい。

それならば、「あの手続きだけじゃなかったんですかー知らなかったですー」と知らないふりをしている方が楽である。そう、楽である。楽なのだが、それはやっぱり面倒でしかない。

面倒の結果楽になっただけで、結局面倒なのだ。

言ったまま、そのままをしてくれたらいいのに…と、何度か思った。

人は完ぺきではない。

そのくらいは知っているつもりだし、実際に自分もそうだ。

それでも、立て続けだとさすがに、自分がおかしいのではないかと思ってしまう。

面倒なことに変わりはないのだが。

怒ることも、クレームを入れることも、コストを考えるとしたくない。結局一番省エネな方法が、「知らなかったですー」式なのである。

もう、全てのやり取りがメールになればいいのに。

文字として証拠が残る分確認できるし、わざわざ声である必要があるのだろうか。

…なんて思うのも、私が聴覚過敏だからかもしれないけれど。

ただでさえ音が神経に刺さるような感覚なのに、受話器という媒体でわざわざ更に近づける必要性が分からない。友人や家族との電話は平気だけれども。

もしかすると、知らない声に過剰に反応しているだけかもしれないな、知らんけど。

日記といふものは

とても面白い。

10年日記を書き始めて、1ヶ月と22日が経った。

最近は、2日に1回まとめて書いていたりもする。

その上、1行しか書かないことも増えてきた。

 

過去の手帳もそうだけれども、文字のきれいさや量は体調に左右されていることが圧倒的に多くて、最近は字が汚くて量も少ないから、やっぱりよろしくないのだと思う。

実際に、病院に行くだけでエネルギーがマイナスに振り切ってしまっていたし。

 

毎日は飛ぶように過ぎていって、習慣という名のポイントで今日もここまできたのかと認識するのだけれど、そのペースがとても速いものだから、これは一体いつの歯磨きなんだっけ?と思ったりもする。

そうして気付けば5日、10日、20日と過ぎてしまっているのだ。なんとも恐ろしい話である。

 

時の流れが速く感じると、老化が遅くなるという話を聞く。

そういう意味ではいいのかもしれない。

追いたてられるように

食事、仕事、食事、仕事、食事、書き物などの作業を一通りこなして寝床に入り、また次の日、洗顔や歯磨き、2号の餌やりとまた作業をこなしていく中で、1号の水やりにたどりついた時、ふと我に返るのが最近の日課になった。

遺影として飾ってある写真は本当にいい顔をしていて、きちんとしたカメラで撮ったものだから、被毛の1本1本が鮮明に写っていて、(そうそう、この辺の毛先がよく絡んじゃって…)なんてことを思い出しては、やっぱり涙を流してしまう。

悲しいとか、辛いとか、不思議とそういう感情はなくて、自分でもよくわからないのだけれど、涙を流すべくして流しているというか、それはとても当たり前のことでしかないように感じている。

もしかしたらそれを悲しいというのかもしれないけれど、正直私は感情と言葉のつながりがよくわからず、困ってしまうことが多々あるのだ。

「楽しい」もわかるけれど、しっくりこない。高揚感ならば納得できる。それは確実に含まれているものだから。

「怒る」は少しわからない。「どうしてそういうことになるの?」と思うことはあるけれど、解決方法を可能な限り探して対処することが多いし、そもそも「イライラ」という方がとても近く感じる。

「悲しい」は、なんだろうか。卵を取り落として割ってしまったときなんかは、「悲しい」という。けれどその中身は、食べるものを駄目にしてしまったという罪悪感が大半を占めている。

では、今回は。

言葉に表せない感情が渦巻いている、とでも言うべきなのだろうか。

ただただ、もういないという事実だけが突き刺さっていて、それで、…。

時間を巻き戻せるならば、また会いたいと思いはするけれど、それはもう一度あの苦しみを味わわせることになる。それは嫌だ。だから、帰ってきてほしいとは、きっと違う。

後悔はゼロとは言えないけれど、それでも、ほとんどない。

なのに、どうしてだろうか。

ぼんやりと思い出したのは、引き出し1つ1つを丁寧に片づけるのは得意だけれど、その中の小物入れにこまごまとした小さなものを片づけていくのはとても苦手だったことだ。

どうしまっていいのかが分からなくて、ただただいろんな色の小さな文具やらが視界いっぱいにチラチラと映りこんできて、情報が多すぎて何をどうしていいのかまったく分からずに、一緒に片づけている母に託しては、放り出して遊びにいっていた。

もしかすると、それに近いのかもしれない。

とっ散らかった思い出や、思いや、その他いろんなものを、私は片づけなければならない。こればっかりは、自分でやるしかない。その苦しみが涙として表れているのかもしれない…そんなことを考えた。