小春日和

だめなひとの雑記帳

捨てるということ

私のストック癖は、ここに大きく関係しているんじゃないかとふと考えてみた。

"なくなる"ということがすごく怖くて、例えばお気に入りのペンの替芯が廃盤になったらどうしようというのをまるでこの世の終わりのように考えてしまうのが既に小学生の頃からあったんですよね。

お気に入りのおもちゃを大掃除の時に勝手に捨てられたり、色々集めていたお気に入りのノート類やペン類を勝手に持っていかれて使われていたりが頻繁にあったのもあるんじゃないかなあ、とか。

最近ストック癖が和らいだのは"なくなるから大事に出来る"というのを教えてもらったからだし、使わないものを色々と捨てられるようになったのも、"今の自分にはもう必要ない"とはっきり認められたからな訳で。

なくしても、なくなっても、持っていかれても、何しても大丈夫と認識できないうちから自分の物が自分以外の誰かに行き先を左右されるのが影響の1つになってたんじゃないかと分析してみました。

実際どうなのかは自分でもわかりませんが。

ただ、こじつけであったとしても、こうだったんだ・ああだったんだと自分の中で理解と言うか納得と言うか…大元を知っているだけでも、何かのきっかけになるのではないかと思うのです。

 

そのことを考えるようになった頃(数ヶ月前)、丁度そのお気に入りのおもちゃが捨てられるところの夢を見ました。

当時4・5歳、夢の中でもその姿ではありましたが、中身は今だったような覚えがあります。

そのとき言えずに諦めて飲み込んだ、「なんで勝手に捨てるの!?」が言えたところで目がさめました。

少しは消化されたということだったらいいなあ、なんて。