小春日和

だめなひとの雑記帳

電車のなかで日記を書くのは

神経を使う分、時間の経つのが早く感じて得をしたように思える。体感的に早く帰れたという意味で。

相も変わらずな過ごし方をしている。おかしくていいのだ。自身の中にしか存在しないちっぽけな"普通"をエスパーでもない人間に押し付けながら、「何こいつ、意味わかんねえ」と自分優位に見せつけているよりも、小さなことでけらけらと笑っていたい。何がおかしいかなんて聞かれても、それは私の中では"普通"に面白いのだ。説明のしようがない。
お互いに中身の見えない"普通"をはたはたとはためかせながら、同じ空間を歩いている。
何故多数に合わせる必要があるのか。多数の中の一つ一つは、少しずつばらけているかもしれないのに。そのままじゃだめなのか。理解されるような足場しか踏んではいけないのか。そもそも外れるような足場で育ってしまったものはどうしたらいいのか。考え出したらきりがない。
おかしいことの何が、わるいのか。
例え悪いと言ってはいなくても、そういう空気になるということは、そういうことなのだろう。知らんけど。