小春日和

だめなひとの雑記帳

ぱりり、

ぱりりと、深夜に片足を突っ込んだ住宅街の中を、ポテトチップスを噛み砕きながら帰ってきた。コンソメ味だ。夜神月ではないが、私はコンソメ味が一番好きだし、コンソメ味しかほとんど食べていないかもしれない。だって、薄塩味を食べるくらいなら、本物のジャガイモで自分で作った方が美味しいじゃないか。

下品だと分かっていながら、そんなことをして帰ってきた。敢えて人通りの少ない道を選び、大通りや対向車、人がいるところでは、普通に歩く。

パパが見ていたら、「お下卑さん」と叱られたことだろうなんて考えていて、今日が命日だったのを思い出した。本日2回目である。

 

T字路を少し複雑にしたような横断歩道の信号が、全て赤く染まっていた。

タクシーと乗用車が、それなりの速度でぴったりと併走していた。

電車の運転手さんの指差し確認が、格好良かった。

仕事中、面白いことに気付いてニヤニヤしていた。あ、これは日常茶飯事か。

 

まともではないものの、多少自分というものが分かってきて、分かれば分かるほど操縦が難しいことにも気付いたのだが、これはこれで楽しいと思えるようになってきた。

小さなことを本気で面白がったり楽しめるのは、いい。それに気付いたから、もう少し生きていてもいいかな、と思えるようになった。

 

久しぶりに、面白い人に出会った。ちゃんと話をして数時間で全てをさらけ出してしまった。後悔はしていないし、自然にそういう風に振舞える人が身近にいて、嬉しい方が強い。お互いアンテナを出し合いながら、探り合いながら、たまにひっかかったりして、お互いの丁度よい距離でやり取りできているんじゃないかと思う、多分。

気を遣うこともないし、かといってぞんざいな訳でもなく、まともに喋ってそんなに経っているわけでもないのに、全くそんな気がしない、そんな人だ。反応を見ている限り、自惚れでは無いだろう、たぶん。

 

先日眼科へ行った話をした。本当に裸眼ですか?と問われた。目の反射がすごかったらしい。なんだ、目が輝いているのか…と、納得された。その人とは、様々な話をする。一般的、といえる話ではないだろうけど、それはとても面白い。だからだろうか。

そう言われて、「あぁ、ちゃんと入ってるのか」「生きていられてるのか」そういう確認処理が二つ、片付いた。

 

そういう部分を出していても認められる場所に来て、そこそこ経つ。そういう部分を出し続けている自分にも慣れてきたし、度合いも上がった。外に出れば、ますます生きづらくなっているだろうと思う。この中にいても、やっぱり感じることはある。その中で、何も気にせず泳いでいられるようになったら、本望だ。たぶんこの中では、9割方が自由形メドレーを延々やっているようなものなのだけど。