小春日和

だめなひとの雑記帳

三段飛ばしのミサイル

すぐに戻れるよという言葉を半信半疑で飲み込みつつ、それでもやはり私のことだしそんなことだろうとも思っていたのだが、ここまで早くとは思わなかった。
もらったプリンのカラメルのように薄くパリリと張ったシールドは、バーナーで遠くから炙られたように知らないうちに溶けて消えてしまっていた。
しばらく分厚いものの中にいたから多少過敏にはなっているものの、それらはきちんと、どうでもいいものとして存在している。
そして剣山のように刺々しく荒れていたものもいつの間にか飼い慣らされ、キンピラはすまし汁へと変わっていた。
あれだけ苛々したものが、今感じた苛々が、間違えた!!と言わんばかりにすっと引っ込んだのだから、これは誤認識ではないだろう。
どれだけ傲慢だったことかと思うが、そういう自分に対してもちろんおちんこでたり…失礼、落ち込んだりもするのだけれど、必要以上に続けずに昇華し、何かしらの身にできているように感じる。
何をしたところで私は小さなものでしかないので、まだまだ足りないところはたくさんあるし、それはもうみのむしのように、泥やモールやプラスチックの欠片を好きなように集めてようやく底辺といったところだろうと思う。そしてそういう自分が、結構好きだ。

確かに私は抑うつ状態だったと思われるのだけれど、過信は良くないとは言え大半もどっているのだから、認識というものはすごいなと思う。
そんなものを飼い慣らさなければ、それなりにまともに見えるように生きていけないのだから、人間というのは本当に大変なものだ。

現職に就いてから、身の回りの結婚やら恋愛やらのありきたりの教科書みたいなものに触れてくる人がかなり減った。それが大人だということも学んだ。
たまにぱたぱたと猫じゃらしをちらつかせてくる人がいるので、そういう人には面白いものを見せてもらって楽しんだりしている。相手が面白いと思うようなものを私が持っているかは分からないけれど。
そういう中で自由に泳げるのだから、しばらくはゆったりと泳いで、いきなりバタフライを成功させたりしてみたいものである。もしかしたらそれは、端から見たら犬かきかもしれないけれど。
私が面白いと思うようなものを、私が面白いと思うことができていれば構わないのだ。