小春日和

だめなひとの雑記帳

「なんで勝手に捨てるの!」

自分の声で目が覚めた。夢では、今と同じくらいに育った自分が、母親に赤い蛇のおもちゃをゴミ袋に入れられてしまった瞬間だった。

5歳くらいだっただろうか。プラスチックでできた赤い蛇のおもちゃがお気に入りだったのだが、家で大体3月頃にやっていた大掃除で何故かゴミ袋に入れられているのを発見し救出したものの、気付かない間にまた捨てられてしまっていたのだ。

関節が作られていてぐねぐねと動かせるもので、当時流行っていたのもあり、ガラガラ蛇と呼んでいた。その頃は人がこんなにも忘れる生き物だなんて知らなかったし、一度ゴミ袋に入れたものが出されているのだから"必要"と判断してくれるだろうと思ったのだが、今となってはよく分かる。”不要”だと判断したことは記憶されていて、捨てたところまで覚えてはいなかったのだろう。さして興味のない子供のおもちゃなど。

ビデオテープに付属されている番号やらのシールをでたらめに貼り付けられた蛇は、今でもしっかりと覚えている。

 

記憶力がいいという話はよく書くが、実際どんな感じなのかというと、その出来事が起こっている時点で感覚的に"これは覚えているだろう"ということが分かる。忘れたものに関してはどうしようもないので結果的にそうなってしまう部分もあるのだが、今のところ覚えていることはどれも共通して、分かっていたものばかりだ。

その出来事が起きている段階で同時録画し、起きていることと同時進行で、起きていることよりも少し遅れて再生されている状態である。

意識の有無は関係なくこういうことがあるので、そのうち私のメモリはいっぱいになりやしないかとも思うのだが、残念なことに人間の脳みそは一生をかけても記憶容量全てを使い切ることは無理らしい。

 

年をとればとるほど、母親の嫌な部分が濃くなっていく。0か10かのコミュニケーションも、昔私が散々振り回されたものだ。だからこそ、面倒なものは早い段階で切ってしまいたい、はっきり区別してしまいたいと思うのかもしれないが、その辺は正直よく分からない。