小春日和

だめなひとの雑記帳

鬱蒼した竹藪の中を、ただひたすらに突っ走るようにして生きてきた。

はてなが、1年前やそれ以前の11月頃に書いたブログをのせたメールを送ってきた。

その記事の中で私は、そういう生き方をしていたということを思い出した。

何に対してどう自分が傷つけられるのかもわからないまま、ただ目の前の生活を送るためだけに走り続けていた。

転んだり、ひっかかったり、擦りむいたりしながら。

 

それは今はなくなったとは言わないけれど、当時から比べたら随分よくなったように思う。

そのきっかけのほとんどは人で、そういう出会いに関してはとても恵まれている、私は。

何から身を守りたかったのか、どういうことがつらかったのか、これから何をしないで生きていくのか。

そういうことと向き合い、7年くらいかけてようやくそれなりに片づけることができた。

もう大丈夫だとは言い切れない。

 

まともじゃない方でまともに生きることを求めているのに、定期的に、悪いことをしているかのように感じることがある。

近況 - 小 春 日 和

 

けれど、こういうことはなくなった。

私が生きることに、そしてその方法について、誰の許可も必要とはしない。

もちろん、許可が必要ないきものを飼育したいとなれば、そういう許可はもらわないといけないけれど、せいぜいそういうことくらいだ。

 

今日は、1号の四十九日である。

調べたところ、来世の行き先が決まる日らしい。

彼は、とてもいい犬だった。輪廻転生とかはよくわからないけれど、あるとするならば、彼に相応しい行き先であればいいと思っている。

百カ日という、死別の悲しみに区切りをつける日があるらしい。

彼を火葬してくださった人は、泣くことが供養になるとは思いませんとおっしゃった。

それは確かだと思う。それで彼が喜ぶとも思えない。

けれど、私の肉体や精神は、泣くという形で感情を整理しようとしている。

それならそれで、泣くことは必要なことだと判断し、とりあえず百カ日までは、そこに甘えていようと思う。

 

11年という間、いろいろなことがあった。擦り切れるような生き方をしてきた。

そこに、ずっと一緒にいてくれた、言わば相棒のような存在だ。

そういう彼がいなくなったのだから、これくらい許されるだろう。

 

仏教は詳しいわけではないけれど、とても優しい部分を持っているのだなと思った。

 

彼を火葬した日の夕方、仕事を紹介してもらえた。

紹介してくれた方に失礼かもしれないけれど、でも、どうしても彼がその機会をもってきてくれたようにしか思えなくて、少し落ち着いてから、飛び込んでみた。

それは、私がずっと望んでいた生き方への一歩だと思う。

成功したいなんて、微塵も思わない。

けれど、私の生きづらさや生き方を何かに活かすことができないか、それが、過去の私を救うことや、擦り切れた雰囲気の中でも一緒にいてくれた1号への供養に繋がるのではないかと考えている。

とても都合のいい話だし、死後もエネルギーとしてしまうのはひどい話かもしれないけれど、そうやって都合よくすることでしか進めない私の未熟さを許したい。