小春日和

だめなひとの雑記帳

置き所がほしい

ボールペンを、なくした。

お絵かきの練習に使っていたボールペンなのだけれど、よく使うからと言って別の箱によけてしまっておいた結果、分からなくなったパターンだ。

私は昔からこういうことがよくあって、お札を封筒に入れて覚えていそうなところに隠してはそのことをコロッと忘れ、ある日見つけて喜ぶということを繰り返していたような記憶がある。

そのことで母からは、「あんたはネズミみたいに貯めこむね」と面白がられていた。

 

10月に、引越しをした。

荷物は、未だに片付けきれてない。

片付けきってしまうと、引っ越しボーナスが終わるようで……と言いつつも既に、引越しボーナスはなくなりかけているのだけれど。

引越しボーナスとは、引越しが決まってから片づけをある程度終わらせて日常を3週間ほど送るまでの間の、すこぶる元気だった期間のことである。

気付いたら日に日に元気はなくなっていって、また、ナメクジのような日に戻りかけてしまった。

相変わらずだめな感じにぐだっとしていたい自分と、環境が変わって新しいことに挑戦しようとする自分が戦っているようで、昨日までの半月はずっと、挑戦しようとする自分が負け続けていた。

これはまずいというところで、先ほど少し本を読んで、そうだ手を動かそうとブログを開いて、今に至る。

 

自分の中で、生きるということは嫌な記憶を増やすことなのかなと思う時がある。

バス停で抜かされたこと、電車やバスで暴言を吐かれたこと、知らない人にデブと言われたこと、勘違いで店員さんに変なことを言ってしまったこと……他にもたくさんの小さな嫌なことから、二度と思い出したくない大きなやらかしまでが日々、代わる代わる脳内を走り去っていく。

その度に眉間にしわを寄せながら振り払おうとするのだけれど、そこでまた違う記憶が駆け抜けていく。

それらは消えることがなくて何度も来るのが大半なので、人生30数年生きてきた今となっては、そういうものなんだと納得させて受け流すようにしている。それでもつらいけれど。

一時は人に言われて嬉しかったことやよかったことをかき集めて、そういう時に見るようにしてもみたのだけれど、最近はめっきり人と関わることが減ったどころの騒ぎではなく、ほぼなくなってしまったので、そういうことが集まらなくて、どうしたものかなと考えたりもする。

 

もう少し上手に、人ごみをするすると通り抜けていくように生きられたらいいなとはいつも思うのだけれど、大抵は自分の車の幅を見誤った運転手のように、がしりがしりとどこかにぶつけながら、そしてがりがりと削りながら不器用に進むしかないのだろうなと感じている。

誰しもそうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。それは分からないけれど、少なくとも私自身はそうなんだろうと思う。

 

何の文章だろうか。よく分からないけれど、久々の雑記ということで載せてみることにする。