小春日和

だめなひとの雑記帳

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昨年の5月、母親をこちらに呼び寄せた。

ずっと地元を出たいと言っていたし、私もこちらに出させてもらったしという思いがあった…気がしていたのだが、実際はなかったのかもしれない。

小学生中学生の時に書かされる読書感想文や作文のように、こういう娘がいいとされるだろうという行動をしただけのような気がしている。

 

私は、精神的虐待のようなものを受けて育った。

といってもそれは、当時の環境的にも母親の性質的にも仕方のないことで、私自身もそう割り切ってはいる。

割り切ってはいるのだが、そこからはみ出てくる感情や思いもある訳で、最近はそういうものを大事にしていこうと思うようになった。

 

時折、当時のことを思い出す。

その頻度はずいぶん下がって、今では数年に1回くらいの間隔だろうか。

頼る人が母親しかいない中で、突き放されることが非常に多かった私は、日頃からこの家に自分1人になったらどうやって生活していったらいいだろうかという不安と一緒に生活を送っていた。

 

母親はとにかく自己陶酔の激しい人で、いつも“かわいそうな私”に酔っていたし、そうすることで自分を保っていたのだと思う。

それは今も変わらなくて、その証拠に、過去の話が出ると必ず「仕方ないじゃない。私、大変だったんだから」とこぼす。

そう、仕方なかったのだ。仕方なかったのだけれども、その仕方ないは私が言うべきことであって、母親が言うべきことではないのではと、過去を思い出す度に思う。

でなければ、大変だったら包丁を投げようが子供をこの女呼ばわりしようが許されてしまうではないか。

いい加減、きれいさっぱり忘れてしまえ、と思う。私が過去と向き合えば向き合うほど、母親が自身や私と向き合うつもりが一切ないということを思い知らされるだけなのだから。

それでもそれができないのは、まだ清算されてないことが潜んでいて、それを通じてまだ私が何かを期待しているからなのかもしれない。

 

母親とは、仲が悪い訳ではない。というか、良くなるような仲でも悪くなるような仲でもない。近しい他人、くらいの間隔だろうか。どちらかといえば義母をおかあさんと呼ぶ方が、心がざわざわしない。もしかすると、親と思っていないのかもしれない。

そんな感じだから、一時は好きだからと奈良漬けを贈ってみたり、10年日記を贈ってみたり、助けを求められれば助けたりと娘らしいことをしていたのだけれど、最近、色々考えた結果、これ以上自分を削るような真似をしなくてもいいのではないかと気付いた。

 

確かに私も様々な問題を起こしながら育ってきたけれど。

完全に自分の足で歩くまでにかなり時間を要してしまったけれど。

それは、これまでの彼女の日頃の行いの結果と相殺してしまっていいのではないかと思うようになった。

人生、割とハードモードだなと思う。それでも、なんとかここまでやってこれたし、幸い挑戦したいと思うこともある。

それらを大切にしながら、自分なりの生き方でやっていければいいと思う。