小春日和

だめなひとの雑記帳

ようやく

心が動き始めたようだ。

毎日、ほぼ1日中家にいると、夫以外の人と話したくなることが増えたので、作業通話というものを始めたところ、途端に頭が働きだした。

聞くだけのことも多いのだが、それでも十分に頭を使うらしい。

おかげで、1月から色々と動き出したいなと思っていたことに、予行練習として前倒しで少しずつ手を付けはじめることができている。

作業通話という、人と話す場所ができたので、迷った末に母親に電話をしてしまうということが減りはじめた。いい傾向である。

 

いい娘キャンペーンをやめて2ヶ月半。

harudama.hatenablog.com

早速、漬け物の催促がきたのは、まったく理解できなかった。

後日詳しく聞いてみれば、実家にもお歳暮を贈ったからと催促をしていたようだ。

彼女は、身内にはいわゆる常識というものが結構ゆるくなるようで(常識、なんてあってないようなものだけれど、そこは一旦置いておく)、近しい他人としか認識していない私にとっては気持ちの悪いものに映ってしまったらしい。

仮に彼女からお歳暮というものを受け取っていたとしても、どうだろうかと思うので、文化の違いなのだろう。

そういうちょっとしたズレがたまりにたまって、少しずつ亀裂を大きくしていくんだろうなと思うなどした。

 

そんな風に思っていながら、キャンペーンを終了宣言までしておきながら、それでも時々様子をうかがう電話をかける自分が、嫌になる。

依存というものだろうか。

彼女の電話はとても長く、ひどい時は2時間にまで及ぶ。

内容はほとんど彼女の生活についてで、スーパーであれを買ったからあれを作るなどの話が中心で、こちらの様子はうかがうことはない。

それがすべてなのだ。それがすべてだと分かっているのに。

何かの本でちらりと読んだ気がするが、母親の呪いとはこういうものなのだろう。

母親に愛されたい、認められたい、そういう幼い自分の思いが、成長した心の中で大きく膨れ上がって、心からはみ出てしまうのだろう。

私は早くに父を亡くしているので、その影響もあるだろうと思う。

仮に父に認められたいと思っても、もういないのだから、どうしようもない。

その分、母親に向かったのかもしれない。

 

結構前に、いわゆる毒母と言われる親を亡くした人が、やっと解放されたというようなことを書いていた。

もしかすると私も、そうなるのだろうか。

それはそれで仕方のないことなのかもしれないけれど、もう少し足掻いてみようと思う。

自分が大事にしたいことだけを考えて生きられるように。