小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

痕跡

少しずつ、私がいた痕跡を消していく。特定の人としか使ってないSNSも、アカウントを削除した。メールも拒否をしては解除し、解除しては拒否をしてまた解除をするという訳の分からない行動に走っているし、本当のところはLINEだってアカウントを削除してしまいたいのだ。元々は前職のために作ったアカウントである。今でこそいくつかスタンプを購入してしまっているが。

現職でLINEを交換してやりとりもないままであった人たちが辞めたときに登録を削除した時だって、心底安心したものだ。社交辞令なんて口ではいくらでも言える。ただ、その痕跡が私の持ち物にも含まれている、それがとても嫌なのだ。

年賀状だって、今年は高校の同級生には出さなかった。昨年は先に届いていたあの人からも、届かなかった。これでまた1つ片付いたのだ。一緒にその人たちの記憶からも消えていてくれれば、本当に救われるのだけれど。

それでいて、年賀状だけとはいえ関係を続けている人もいるし、それはただの社交辞令ではなく楽しみになっているのだから、本当に都合がいいなと思う。我ながら。

 

血液検査に使われる注射器の針のように、人は異物感を主張しながら入り込んでくる。注射が怖いのではない。入ってくる針が自分の体内のどの辺でどう動いているのか分かるのが、そして紐状のゴムで縛られて圧がかかったために感じられる自分の脈が、どうしても気持ちが悪いのだ。上手く説明できないが、今のところ、恐らくこれと同じような感覚ではないだろうかと認識している。蛇足だが、当然血圧測定も嫌いである。どくどくと真綿で締め付けられるような不思議な感覚が、とても気持ちが悪い。「そのまま死にますから、じっとしていてくださいね。」といわれない限り私は脳内でスピッツを流し、足でリズムを刻むのをやめられないだろう。

 

私の部屋にある8割のものはきっと、私に必要のないものだというのは、十二分に分かりきっていることである。なのに、捨てられない。それを執着というらしい。大分断ち切れるようになってからそれなりに物を減らしたはずなのだが、彼らは自然繁殖でもするのだろうかというくらいに、元通りの数を保っている。

買い集めている漫画をどれほど読み返したことがあっただろうか。作品数は絞っているが、4種類20巻ずつだけでも、もう80冊になってしまう。

本は増えるもの、そう思っていても増やしすぎると大変なので、そこは何とかしなければならない。

 

昨日は、41℃と体温よりもやや高めなお湯に漬かっていたはずなのに気付いたら涙を流し汗を流し、どちらか区別がつかなくなった頃には、私の体の芯がひんやりしていることを強く主張し、お湯もまたそれにこたえるように、37℃くらいの温度に下がっていたように感じた。

この前受けた歯科での抜髄治療のように、麻酔でぼんやりと手なずけられている間に臼歯を削られ、その中に幾数もの細い棒状と思われるものを敷き詰められていった。歯科の方は確か、33本だったと記憶している。

それでも何かあると稀にうずく歯のように、私の中でも色々なものがうずいているらしい。

極端な思考を暴発させながら、どうすればきちんと片付けられるのかと頭を悩ませていたし、今もそれは変わらない。2時間半近く涙を流して尚、翌日の今日もまた涙を流し、今日の頭痛の原因は8割方それだったなんて言えるわけもなかった。

ちなみにこの場合の頭痛は、緊張型頭痛になるらしい。頭を振っても痛くならない方である。

 

とにかく片付けて綺麗にしたいという衝動だろうか。用を足した後、おもむろに便座を持ち上げて洗剤を振りまいてきた。それだけでは飽き足らず風呂場に行き、立てかけておいた風呂のふたの上下を入れ替え、元々下側にあったためについた水垢やなんかを落とすためにこちらもまた、洗剤を振りまいてきた。そろそろ、いい頃だろうか。