小春日和

だめなひとの雑記帳

今日も

頭の中を、ぐわっとした痛みになりきれない違和感が陣取っている。

もう、またか、とすら思わなくなってしまった。

今日はこういう日か、わかった。それだけである。

そして、その、数センチもあるかどうか分からない小さな小さな波に乗って、今日できるだけのことをする。

明けてからもずっと、そういう毎日を積み重ねている。

今年は特に、やるぞ!というような意気込みもなく、ぬるっと新年に突入したので、これでいいのかと少しだけ不安に思いはしたが、新年だからと変に張り切って大きな波を作りだすよりかはまだ健全なのかもしれないと、考え直したところである。

 

特に書きたいことも書くべきこともないのだけれど、何かしていないとうっかり母親に電話をかけてしまいそうなので、とりあえず座って手を動かしてみた。

 

最近は、どうやら人とコミュニケーションに飢えているらしい。

久しぶりにやった16タイプの性格診断では、いつもは思いっきり内向的なのに、珍しく外向的な方に寄っていたからどうしたものかと思っていたが、恐らくそういうことだろう。

実際に、昨年からはネットで知り合った人と作業をしながら通話をしてみたり、定期的にお互いのやりたいことの進捗を確認し合ったり、以前よりも少しだけ人と接することが増えた。

とはいえ、頻度はそんなに高くないので、1回1回の特別感が増しているのかもしれない。

かなり前に、人の会話を聞いているだけでも頭が働くようになるねと、夫に話しかけたことがある。

そして自分も少しずつ喋れるようになり、ちょっとした作業ができそうなコンディションになるという話をすると、大抵の人は外でそれをしているんだよと言われた。

普段、いかに夫以外の人と話していないかが露呈したわけだが、この出来事がなければ人と話すことで生じる効果というものに気付けなかっただろう。

 

人と話をすることは、時として疲れることがあるのだけれど、そういう場合は大抵、自分と向いている方が違っている。

そして幸い、最近はそういう人とは出会っていないので、同じような方を向いた、でもいろんなことが違う人たちとゆるゆる交流をするのが楽しみになっている。