小春日和

だめなひとの雑記帳

子どもについて書いてみようと思う

35歳、結婚してもうすぐ5年。子供を持つには、高齢出産と言われる年齢に片足を突っ込み始めたところだ。

漠然と、どうしてかと聞かれても分からないくらい漠然と、子どもがほしいなと思ったことはあるのだが、その頃のメンタルの調子は良くなかったので、きっと一過性の物だったのだと思う。

今は、夫と相談したり、環境のことについても考えたりした結果、難しいねってことで、犬や鳥(2号)と暮らしている。

 

まず、怖い。

案ずるより産むがやすしともいうが、そんなことはどうでもいい。私が、怖いのだ。

自分を斜め後ろから見下ろしていた感覚の時は痛みなんかの感じ方も気持ち弱かったけれど、そうでないことが大半な今、感覚がとてもリアルで気持ち悪いくらいだから、耐えられるかどうか…と思ってしまうのだ。

しかも10月10日縛られて、命がけで、出産にも何時間もかかるという。

これは未知だからという部分が大きいとは思うが、それでもやっぱり、世の中のお母さん方はすごいことをしてきたんだなと思う。

 

次に、いざ生まれたとして、私が親として機能していられるかだ。

私は発達障害を持っている。それは鬱とお友達のような関係で、今でこそこの5年間は低空飛行ながらも浮き始めて安定しているなと思えているが、それも薬が安定して手に入っていて、それをなんとか飲み続けられているからで。

妊娠したとして、それらがどれだけ許可されるかもわからないし(基本NGだよね?)、出産したとして、睡眠障害の私が2、3時間置きに起きるなんてことができるとは思えない。できたとしても、それでメンタルがボロボロになるのではないか。

そうなった時、子どもは私を必要としているのに私が機能していなかったら、手をかけてあげられない。それでもやるしかないのは分かっているが、お世話の質が駄々下がりしてしまうのではないかと思う。

育つごとに状況は変われど、それがある程度大きくなる十数年間も続くのに、私はやっていけるのだろうかということが一番気にかかる。

 

最後に、金銭面である。

今飼っている犬の前に、一緒に暮らしていた、ここでは1号と呼んでいる犬がいた。

その子は、原因不明の病気で入退院を繰り返したり、あと10日程度と言われたりしつつもなんとか11年と半年生きた子なのだが、その時の医療費もなかなかのもので、1号を見送った後は、ある程度まとまったお金を作ってからでないと新たに迎えるのは厳しいなと思っていたくらいである。

そういう金銭状況なので、2人で精一杯なのだ。私が1馬力分くらい稼げればいいのだが、外で働くのはもう無理だと思っている今、あるだけのスキルをなんとか活かして収入に繋げようとしているが、それはまた別の話である。

仮に私が稼げていても、妊娠・出産期間は働けないとなると辞めるか育児休暇を取るかが現実的だが、結局何かと手がかかるので辞めなくてはいけなくなるのだろうなというところまでは想像した。

 

他にも考えなくてはならない部分はいろいろあるだろうが、今、人を1人育てるには、様々な部分での余裕がなさすぎるのだと思う。

 

もし先々子どもを持ちたくなったら、養子縁組という手もあるよねという話もした。

そしてなんとなく色々調べていて、一時的に預かるだけの里親制度もあることを知った。

施設などに寄付するという手もある。

直接自分の子どもを育てられなくても、間接的に子育てに参加する手段はあると思う。

将来、自分たちがどういう風に生きていて、どんな選択をするのかは分からないけれど、そういうことを考えられる余裕を少しでも作れていたらいいなと思う。