小春日和

だめなひとの雑記帳

なかなか厄介な

harudama.hatenablog.com

生き方をしていたんだなあと、過去のブログを漁って思い出すなどしていた。

思い出してみると、悩んでいるのは大抵人との距離感のことだったような気がしないでもない。

世の中には色んな人がいて、その色んな人の中に自分も含まれるはずなのに、なぜだか多数派に当てはまることはほとんどなくて、当たり前のようにされるよくわからない会話の中で右往左往しながら自分の居場所を探し、やっと口を開いたかと思えば少しズレていた、なんてことがよくあったように思う。

今、あの世界にもう一度放り込まれて同じように過ごせと言われてもできないくらいには周りに恵まれている。

現在私の周りにいる人たちは、私や相手のあれこれをお互いに「そうなんだね」と受け止め合える人が大半だと思う。

 

20代半ばくらいまでの私は、職場という集団の中で、うまくやらなくては、嫌われないようにしなくてはと必死な反面、意図せずとも聖域に土足で踏み込んで来ようとした人に対しては異様に距離を取ってしまい、トラブルになることがあった。

今思えばそういう生き方をしているから当然なのだけれど、当時はそれにすごく疲弊して、このブログに駆けこんでみたり、家でやけ食いをしてみたり、犬をこれでもかというほど可愛がったりしてなんとかやり過ごしていた記憶がある。

そんな自分だから、明るいところにいてはいけないと思っていたし、職場の飲み会なども、自分なんかが…と参加せずにいたりした。

そもそも明るいところ・暗いところなんてないだろうに、自分の中にそういう概念を作って、ただただそれに怯えていたのだと思う。

 

当時は「私は自分の巻貝に入っているので、そのへんに転がしておいてください」という感じだったのだけれど、今は「その辺を泳いでいるので、適当に捕まえてください」くらいにはなれたのではないかと思っている。