小春日和

だめなひとの雑記帳

やすみやすみ

生きている。そんな感じだ。

といっても休みの方がずいぶん長くて、じゃあ一体いつ生きているのかって言うと、また絵の練習ができるようになったとか、小さな目標ができたとか、そういうところなので、実はそんなに生きていないのかもしれない。

頭の中の電光掲示板もすっかり休みモードだ。

今まではこうやってPCに向かうと何かしらを垂れ流してくるので、それをカタカタと打ち込むだけだったのだけれど、今は流れたとしてもすぐに途切れてしまう。

たぶん、薬のせいだろうなあと思う。

感情の起伏がなくなって、おだやかといえばとても穏やかなのだけれど、好きなことにもあまり反応できないし、テンションが上がったかと思っても、それはどこか上から押さえつけられているような感覚で、そんな自分をすぐに俯瞰して見てしまい、上がりかけたテンションは逃げるように引っ込んでいってしまうのだ。

つまらない。

とても、つまらない。

何のために生きているのだろうかとさえ思う。

そんな中で久しぶりに絵の練習をしようと鉛筆とノートを出して、数ページも進められたのだから、これはとてもすごいことなのではないかと思う。

 

感情の起伏がないと書いたが、感受性はたいそう豊かで、ちょっとしたことで勝手にこみあげて涙が出てしまうので、これも困っている。

副交感神経が大分優位になっているのだろうか。

いつかは、写真の展示をやっているアトリエで涙が出てきてしまって、とても焦った。

 

薬をやめてしまえば、ある程度活き活きと生きられるのだろう。

半年くらい薬を抜いていたことがあったけれど、その時は元気だった。仕事をしなければ。

ただ、衝動性が高く、何かしらをやり過ぎてしまう面があるので、人間が絡むことは避けた方がいいのかもしれない。

数年前には、やっと乗りこなせるようになったと思ったこの体だったのに、今ではどう操縦していいやら分からないどころか、分からなさ過ぎて頬化の誰かが操っているのではないかという気さえする。そんなことはたぶんないのだろうけれど。

来年は、もう少し生きていればいいなあと思う。

そんな、11月の末。

6月は

何をしていたのだろうかと過去をさかのぼってみたけれど、何も残されていなかったので、そういうことなのだろう。

手も頭も何も働かなくて、とりあえず目の前の仕事をこなすのが精一杯で、味気ない日々を過ごしている。

休みたいのにいざ休むと暇で何もできなくて、何をやっているんだろうなぁなんて思いながら。

モーニングページ、始めました。

最近、何かしたいのに何もできなくて困っている。

脳みそのメモリが足りない、とでも言うべきだろうか。

やれることは色々あるのに、いざ取り出してみるとなんだか違う気がして元通りにしまってしまう、そんな日々が続いているので、モーニングページというものを始めることにした。

創作をしたいけど何からやれば…とか、そういう人向けだとも聞いたような気がするが、私の把握していることがかなり曖昧なので、深くは書かないでおく。

内容は、毎朝ノートに3ページ、頭に思い浮かぶことをひたすらノートに書き写す。それだけである。

書く瞑想、と言われるものになるのだろうか。

そんなに書けるだろうかと思いながら1ページやってみたのだが、頭は結構せわしなくいろいろと考えているみたいで、11分程度でA5のノート1ページが埋まった。

そんなたいそうな内容は書いていなくて、車の音がするなとか、お腹空いたなとか、こういうの書きたいなとか、そういう普段の思考そのものをただ羅列しただけである。

これだけでも頭が整頓されるみたいで、続けていくと面白そうなので、このまま続けることにした。

 

最近は読書などのインプットがてんで駄目で、そういう情報もなかなか自ら仕入れるということができないでいたので、この情報は嬉しかった。

続けてみて、変化があったらまたまとめようと思う。

忘れるかもしれないけれど。

ともだちができた話

ずいぶん前だけれど、思い出したので引っ張り出してみた。

 

harudama.hatenablog.com

 

自分と同じようなベクトルでものを考えている人が身近に欲しかったんだろう。

それが友人であり理解者である主人だった。

 

地球外に人間と同等の生命体がいるのかどうかと同じくらい、地球内に自分と同じようなものの考え方をして同じようなものに惹かれる人間がいるのだろうかということが気になっていたし、知りたかったし、何よりいたら面白いだろうなぁと思っていた。

流石に他人だから自分にコピーとまではいかないけれど、洗濯のタイミングから読む本、音楽、色々なものに興味を持つところなど、大体のことが似ているので、とても気楽に面白く過ごせている。

ただ、私が気になるものを彼に伝えると、大体彼はすでに知ってしまっているのだけれど。

いきものも同様に可愛がってくれるし、今のところ極端に違うのは一部の食べ物の好みくらいだろうか。

 

「言わなくても分かれよ」というのは好きではないけれど、実際に「言う前に分かってしまわれている」「分かってしまえる」というのはなかなか面白いもので、どこまで通じるのだろうかと自分の中で遊んでみたりもする(支障が出ない範囲で)。

相手もそうかはわからないけれど、ちょうどこれが食べたかったという時に「これが食べたいだろうと思って」と、それを買って来てくれることがあるのも面白い。

何が面白いって、外さないからだ。

 

一緒に住みだして数年、今はそのゲームが日常で当たり前になっているけれど、こうやって書くとやっぱり不思議だし、面白いなと思うのである。

 

結局のところ、私は私でいたいだけで、欲しかったのはそれを許してくれる人だったのかもしれないなとも思ったけれど、なんか違う気もして、答えはちょっとよく分からない。

やっぱり、同じベクトルでものを考えている人間だったんだろうか。

春の疲れ

相変わらず特に何があったというわけではないのだけれども、受け止めて処理をしなければならない現実の断片をいくつもその辺にまき散らかして、集めてやらないといけないのになかなかそれをする気にもなれず、ぼんやりと、TSUTAYAディスカスで借りたCDをPCに取り込みながら聴いている。

久々に使ったノートパソコンは使用感を全く忘れてしまい、何度もBSとNLを間違えたので、いつもの方に切り替えた。

 

ピントはあっている。

それがいつ頃からかもわかっているから、おそらくそのせいなのだろうけれど、今までエネルギー大量消費型のシールドから守っていたものが露出して、それですべてを感じなければならないのだから、とてつもなく面倒だなぁと思う。

一度シールドではじいたからと言って、それはそれで痛みはあるのに、それをまたきちんとした形で受け止めなければならない。

1回で済めばいいけれど数回にわたっていることもあるのだから、いい加減この仕様をやめてほしいと思う。でも、多分生まれてからずっとこれなので、なおることはないのだろう。

 

4月に入ってから、毎日のように昼寝をしている。しかも、日によっては複数回。体はだるく、頭は痛く、よくてもヘビーな頭重感なのだから、よほどどうかしているのだろう。いろんなことが捗らない。

去年の今頃はちょうど仕事を辞めてぐったりしていた時だったから、気付きにくかったのかもしれない。

そんな感じで、ナメクジのように生きている。