小春日和

だめなひとの雑記帳

モーニングページ、始めました。

最近、何かしたいのに何もできなくて困っている。

脳みそのメモリが足りない、とでも言うべきだろうか。

やれることは色々あるのに、いざ取り出してみるとなんだか違う気がして元通りにしまってしまう、そんな日々が続いているので、モーニングページというものを始めることにした。

創作をしたいけど何からやれば…とか、そういう人向けだとも聞いたような気がするが、私の把握していることがかなり曖昧なので、深くは書かないでおく。

内容は、毎朝ノートに3ページ、頭に思い浮かぶことをひたすらノートに書き写す。それだけである。

書く瞑想、と言われるものになるのだろうか。

そんなに書けるだろうかと思いながら1ページやってみたのだが、頭は結構せわしなくいろいろと考えているみたいで、11分程度でA5のノート1ページが埋まった。

そんなたいそうな内容は書いていなくて、車の音がするなとか、お腹空いたなとか、こういうの書きたいなとか、そういう普段の思考そのものをただ羅列しただけである。

これだけでも頭が整頓されるみたいで、続けていくと面白そうなので、このまま続けることにした。

 

最近は読書などのインプットがてんで駄目で、そういう情報もなかなか自ら仕入れるということができないでいたので、この情報は嬉しかった。

続けてみて、変化があったらまたまとめようと思う。

忘れるかもしれないけれど。

ともだちができた話

ずいぶん前だけれど、思い出したので引っ張り出してみた。

 

harudama.hatenablog.com

 

自分と同じようなベクトルでものを考えている人が身近に欲しかったんだろう。

それが友人であり理解者である主人だった。

 

地球外に人間と同等の生命体がいるのかどうかと同じくらい、地球内に自分と同じようなものの考え方をして同じようなものに惹かれる人間がいるのだろうかということが気になっていたし、知りたかったし、何よりいたら面白いだろうなぁと思っていた。

流石に他人だから自分にコピーとまではいかないけれど、洗濯のタイミングから読む本、音楽、色々なものに興味を持つところなど、大体のことが似ているので、とても気楽に面白く過ごせている。

ただ、私が気になるものを彼に伝えると、大体彼はすでに知ってしまっているのだけれど。

いきものも同様に可愛がってくれるし、今のところ極端に違うのは一部の食べ物の好みくらいだろうか。

 

「言わなくても分かれよ」というのは好きではないけれど、実際に「言う前に分かってしまわれている」「分かってしまえる」というのはなかなか面白いもので、どこまで通じるのだろうかと自分の中で遊んでみたりもする(支障が出ない範囲で)。

相手もそうかはわからないけれど、ちょうどこれが食べたかったという時に「これが食べたいだろうと思って」と、それを買って来てくれることがあるのも面白い。

何が面白いって、外さないからだ。

 

一緒に住みだして数年、今はそのゲームが日常で当たり前になっているけれど、こうやって書くとやっぱり不思議だし、面白いなと思うのである。

 

結局のところ、私は私でいたいだけで、欲しかったのはそれを許してくれる人だったのかもしれないなとも思ったけれど、なんか違う気もして、答えはちょっとよく分からない。

やっぱり、同じベクトルでものを考えている人間だったんだろうか。

春の疲れ

相変わらず特に何があったというわけではないのだけれども、受け止めて処理をしなければならない現実の断片をいくつもその辺にまき散らかして、集めてやらないといけないのになかなかそれをする気にもなれず、ぼんやりと、TSUTAYAディスカスで借りたCDをPCに取り込みながら聴いている。

久々に使ったノートパソコンは使用感を全く忘れてしまい、何度もBSとNLを間違えたので、いつもの方に切り替えた。

 

ピントはあっている。

それがいつ頃からかもわかっているから、おそらくそのせいなのだろうけれど、今までエネルギー大量消費型のシールドから守っていたものが露出して、それですべてを感じなければならないのだから、とてつもなく面倒だなぁと思う。

一度シールドではじいたからと言って、それはそれで痛みはあるのに、それをまたきちんとした形で受け止めなければならない。

1回で済めばいいけれど数回にわたっていることもあるのだから、いい加減この仕様をやめてほしいと思う。でも、多分生まれてからずっとこれなので、なおることはないのだろう。

 

4月に入ってから、毎日のように昼寝をしている。しかも、日によっては複数回。体はだるく、頭は痛く、よくてもヘビーな頭重感なのだから、よほどどうかしているのだろう。いろんなことが捗らない。

去年の今頃はちょうど仕事を辞めてぐったりしていた時だったから、気付きにくかったのかもしれない。

そんな感じで、ナメクジのように生きている。

現実がつらい

何か辛いことがあるとか、これから先あるとか、嫌なことがあるとか、嫌な目に遭ったとか、そういうことは一切なくて、これはまた私の“いつもの暴走”なのだ、きっと。

兆候は数日前から感じていたものの、音楽を聴きながら作業しているだけでこんなに一気に近づいてくるものだとは思っていなかったというか、分かっていたというか、あえてそうしたのかもしれないという気すらしている。

私は時々、勝手にそういうことをする。

それは私の意思かもしれないしそうでないのかもしれないけれど、動かしているのは私自身なのだから、結局のところ私が勝手にやったことなのだ。

 

息をするのが、存在するのが、辛いと思うのはいつものことだった。それも最近は大分薄れて(それでも時々波が来たりはするけれど)なんとかそれなりに暮らせていたつもりなのに、こういう時に津波のように一気に押し寄せてくるから質が悪い。

全部、切り捨ててしまいたくなるのだ。何もかもを。でも、現状そんなことはできなくて、いつも誰かに助けてもらいながらなんとか戻っては来るのだけれど、それでも現実の辛さはどうにもならない。結局これは、どうしてやるのがいいのだろうか。いまだに分からないから、もしかするとやり過ごすことしかできないのかもしれないし、こんな風にどうしようもない文章を生み出すのもいいのかもしれない。

 

存在しているだけで、空気と自分の接点がびりびりするような変な感覚に陥る。それは、合わないところに無理やりねじ込んんだパズルのピースのような感覚で、お前はここじゃないと言われているようで、そんなのは分かっているから外れようとするんだけれども上手く外れずに、結局、ピースの端がはがれてもさもさになっただけで終わるんだ、きっと。

 

この年までもがき続けているなんて思ってもいなかったし、思いたくもなかった。ただ何も考えずに生きているのが普通の側に行きたいと思ったこともあったけれど、その時点でそれは自分ではないということも分かっていたから、それはあきらめた。

大体のことは「発達障害の特性ですね」で片付いてしまう。本当にそうかはよく分からない。いくら研究して分析しても、100%分かりきるなんてことはないだろうし、本来持っているものと発達障害の区切りだって見えるものではない。だから私は一生分からずに、きっともがいたまま生きていくんだろう。

大体の人生はそういうものかもしれない。でも私は人生なんてまだ1回目だし、2回目があるかも分からないし、人の人生だってよく知らないし。

 

なんだろうね、これは。

とりあえず中身を整頓したかったってことでここに書き捨てて、やるべきことに戻ろうと思う。

1100文字程度ってこういう風なら12分で書けるんだな。どうでもいいけど。

お前は、誰だ。

まぎれもなく私なのだが、自身ですら思い返すと「誰だ?」と思うほどに攻撃的になっていることがあり、その度合いは社会に入り込むのをやめたことで下がりはしたものの、それでもやはり時々顔を出してくる。

そしてそういう自分をとても嫌いになり、何度も忘れるために「終わったんだ」と言い聞かせ、実はそれが刷り込みになっているのではないかと怯え、そしてそういう生き物だから仕方ないのだとあきらめようとする。

そういう生き方を、未だに、している。

 

久しぶりの明瞭な視界だ。

この感覚を覚える度に、「またずれていたのか…」と落胆する。

いつもこの視界なら、エネルギーを無駄に放出することも前借することもなく生きられるのに、それをしなければならないほど疲弊していることもまた事実で、何が怖いかってそれを自覚できていないことで。

今の疲れがただの「疲れたねー」程度のものなのか、それとも隠さねばならないほどの「疲れているから危険だ」なのかも分からないまま、今日も作業をしようとしている。

幸い家の中で完結することばかりで外に出る必要性がないので、自分だけの問題で済むことが救いだ。

 

疲れたとは、休むとは、いったい何なのか。

ただただ消費するエネルギーに身を任せて毎日を送っているだけではないのか、それは生き物として正解なのだろうけれど、私はもっといろいろなことを吸収して吐き出したいのだ。そのためのエネルギーが足りない。

 

ランナーズハイみたいなものだろうか。

疲労している気がするのに、絵やここのアウトプットはやけに捗っている気がする。