小春日和

だめなひとの雑記帳

今度こそ

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いい娘キャンペーン終了をしたい。する。するんだ。

そうやって1年以上が経過してしまった。「母という病」は、まだ読めていない。

一体何をやっているのだろうかと思うのだが、電話をせずにはいられなくなってしまっているので、一種の依存か新手の自傷行為か、その辺なのだろう。

とうとう、手帳の週間タスクに「母に電話をしない」が追加された。

ここまでしないとできないのだろうかと自分に失望しそうになるが、それだから呪いなのだという話で、これは自分で断ち切るしかないのだろうと思う。

それにしても、歯磨きなんかの日常の必要なことですら毎日同じことの繰り返しで面倒だと感じるのに、電話に関しては律義にかけるのだから、本当に不思議である。

 

人と話をするとき、その人の何に興味を持っていいのかが分からないことが、よくある。

その人には興味があるはずなのに、漠然としていて、考えようとすればするほどわからなくなって、外側から見た私は無言になってしまう。

日常で興味を持たれることが少なかったのだろうか。

確かに、母親は自分にしか興味がない人なので、母親の愚痴や何かをいろいろと聞かされた記憶はあるけれど、母親に話を聞いてもらった記憶はひねり出して出てくるかどうかだ。

実際にそれが関係するのか分からないけれど、芋づる式に引っ張り上げられてきたので、書いておく。

子どもについて書いてみようと思う

35歳、結婚してもうすぐ5年。子供を持つには、高齢出産と言われる年齢に片足を突っ込み始めたところだ。

漠然と、どうしてかと聞かれても分からないくらい漠然と、子どもがほしいなと思ったことはあるのだが、その頃のメンタルの調子は良くなかったので、きっと一過性の物だったのだと思う。

今は、夫と相談したり、環境のことについても考えたりした結果、難しいねってことで、犬や鳥(2号)と暮らしている。

 

まず、怖い。

案ずるより産むがやすしともいうが、そんなことはどうでもいい。私が、怖いのだ。

自分を斜め後ろから見下ろしていた感覚の時は痛みなんかの感じ方も気持ち弱かったけれど、そうでないことが大半な今、感覚がとてもリアルで気持ち悪いくらいだから、耐えられるかどうか…と思ってしまうのだ。

しかも10月10日縛られて、命がけで、出産にも何時間もかかるという。

これは未知だからという部分が大きいとは思うが、それでもやっぱり、世の中のお母さん方はすごいことをしてきたんだなと思う。

 

次に、いざ生まれたとして、私が親として機能していられるかだ。

私は発達障害を持っている。それは鬱とお友達のような関係で、今でこそこの5年間は低空飛行ながらも浮き始めて安定しているなと思えているが、それも薬が安定して手に入っていて、それをなんとか飲み続けられているからで。

妊娠したとして、それらがどれだけ許可されるかもわからないし(基本NGだよね?)、出産したとして、睡眠障害の私が2、3時間置きに起きるなんてことができるとは思えない。できたとしても、それでメンタルがボロボロになるのではないか。

そうなった時、子どもは私を必要としているのに私が機能していなかったら、手をかけてあげられない。それでもやるしかないのは分かっているが、お世話の質が駄々下がりしてしまうのではないかと思う。

育つごとに状況は変われど、それがある程度大きくなる十数年間も続くのに、私はやっていけるのだろうかということが一番気にかかる。

 

最後に、金銭面である。

今飼っている犬の前に、一緒に暮らしていた、ここでは1号と呼んでいる犬がいた。

その子は、原因不明の病気で入退院を繰り返したり、あと10日程度と言われたりしつつもなんとか11年と半年生きた子なのだが、その時の医療費もなかなかのもので、1号を見送った後は、ある程度まとまったお金を作ってからでないと新たに迎えるのは厳しいなと思っていたくらいである。

そういう金銭状況なので、2人で精一杯なのだ。私が1馬力分くらい稼げればいいのだが、外で働くのはもう無理だと思っている今、あるだけのスキルをなんとか活かして収入に繋げようとしているが、それはまた別の話である。

仮に私が稼げていても、妊娠・出産期間は働けないとなると辞めるか育児休暇を取るかが現実的だが、結局何かと手がかかるので辞めなくてはいけなくなるのだろうなというところまでは想像した。

 

他にも考えなくてはならない部分はいろいろあるだろうが、今、人を1人育てるには、様々な部分での余裕がなさすぎるのだと思う。

 

もし先々子どもを持ちたくなったら、養子縁組という手もあるよねという話もした。

そしてなんとなく色々調べていて、一時的に預かるだけの里親制度もあることを知った。

施設などに寄付するという手もある。

直接自分の子どもを育てられなくても、間接的に子育てに参加する手段はあると思う。

将来、自分たちがどういう風に生きていて、どんな選択をするのかは分からないけれど、そういうことを考えられる余裕を少しでも作れていたらいいなと思う。

歯を食いしばるようにして

生きていたことを、ぼんやりと思いだした。

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ストレス、今思うと、めちゃくちゃためてたなぁ、なんて。

定期的にコンビニで大盛りパスタとお菓子数点を買っては一度に食べきってしまったり、帰った途端に糸が切れたように泣いてしまったり。

当時の職場は割と面白い人が多くて、幸いちょっとは埋もれられたんだけども、それでもやっぱりはみ出てしまう部分はあって、それがまたしんどかったんだろうと思う。

何もかも、みんなが私みたいに何を聞いても、「へぇ、そうなんだ」で済めばいいのにと思っていた。

世の中というものは、私にとっての普通を、すべて変わってると定義してくると認識していたので、そういう中を上手くかいくぐってなんとか"ちょっと変な人“くらいにおさめる。それが毎日だったと思う。

もしかすると、私は他人がすることや考えることに興味はあっても、他人自体には興味がないせいで、自分に対してもそう扱ってくれればいいのに、と思っていたのかもしれない。

 

今はというと、「へぇ、そうなんだ」という感じで済ませてくれる人しか身近にいないので、とても楽である。

興味がないとかそういう感じではなく、ただ一度、「そうなんだ」と受け止めてくれる。

そういう生活になって久しいから忘れがちだけれど、昔はいろいろとすり減りながら生きていたんだなと思うと、今の環境に感謝しつつ、大事にしていきたいと思う。

先月は

そんなに間をあけずに2回、バレーボールをするために地域の体育館に行ってきた。

実はそんなに乗り気ではなくなっていたというか、バレー熱がそこまでたぎってなくはあったのだけれど、実際にプレイすると楽しくて、やっぱり始めてよかったなと思う。

そして、ひと月に1回と結構間があいてのプレイが大抵だったのだが、そんなに間をあけずに2回となると体も覚えているようで、サーブを打った時の音が安定したり、バックトスに挑戦してみようと積極的になれたりなんかして、その変化がなんだかとても面白かった。

これがコンディションというのだろうか。

とにかく1回目と2回目の違いを体で感じられたのがすごく新鮮だったので、残しておこうと思う。

5年前

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体調を崩してから3日目。

ちょうど、動物病院に点滴を打ちに行った日だろうか。

過ぎる月日はとてもやさしく、そしてすごく残酷だと思う。

年々薄れていく1号の記憶。

その度に、骨壺の入った袋を撫で、アルバムを開き、あの日々をまた脳裏に焼き付けるのだ。

後悔はなくても、彼は本当によく生き抜いたと思っても、それでもやっぱりもっと一緒に暮らしたかったというのはどうにも拭えなくて、時々猛烈に恋しくなる。

パピヨンにしては少し短い鼻先に、少し小さめの耳(それでも大きくはあったけども)。

ところどころ、ピンク色をした肉球

体のほとんどを覆う茶色の毛に、胸元の白くふわふわした…。

 

当時は生きるのに必死で、毎日をこなすのが精一杯で気付かなかったけれど、そんな私をいつも家で待ち、そしてありったけの感情をぶつけてくれるその存在が、この世で生きる私の相棒だったんだなと気付いたのは、いつだっただろうか。

私は、彼に何ができていただろうか。

いつももらうばかりで、何もできていなかったのではないだろうか。

そんなことばかり考えてしまう。

それだけ、1号と一緒に暮らした日々は特別で、かけがえのないものだった。

 

何を書こうとしたのだろうか。

続かなくなったので、ここまでにしておこうと思う。