小春日和

だめなひとの雑記帳

健康証明

今日、私の胃がだいたい健康であることを証明してきた。

夏に、市の胃がんリスク検診というものを受けたのだが、そこでひっかかってしまったため、胃カメラを飲んできたのだ。

胃カメラは人生で2度目だったのだが、1回目の先生が上手だったのと、鼻に通すカメラを使用していたのもあるのだろう(検査自体は口からだった)。

入れる時に苦労したくらいで、あとは平気だったのだけれど、今回はひどかった。

私はマーライオンに進化しますかと聞きたくなるくらいの深く激しいゲップに襲われ、ほんの少しの我慢もできず、食道の中を出入りする管に意識をやらないようにするので精一杯だった。

十二指腸に入れられる時も、お腹の中でツンツンしているのがわかるし、そうなると嫌でもそちらに意識が行ってしまう。

鎮静剤を使うという選択もあったのだが(なしでいいですか?と2度も確認された)、それは恐らく点滴を使用するようで、血管に物を入れるということを怖いと感じてしまう私はやめておいた方がいいだろうと使用しなかったのだ。

1回目の胃カメラも鎮静剤を使わなかったし(選択すらなかった)、あんな感じなら大丈夫だろうと思っていたのもあった。

案内と対応をしてくれた看護師さんが、アトラクションのスタッフさんっぽい明るさで、検査が始まると呼吸を褒めてくれたり、あと少しですよと声をかけてくださって、それがすごく救いだった。

結果、ピロリ菌はおらず、なぜ検査結果に数値として上がってきたのかも謎のまま、念のための検査をして帰ることになった。

 

30を超えて人生に余裕ができたので、体のメンテナンスをできる範囲で少しずつやるようにしているのだけれど、何かと起きては大丈夫でしたー!というのが続いていて、年1ペースで何かあるので、来年は何もないといいなと思う。

かかりそうで

かからないエンジンを抱えているような毎日で、いい加減嫌気がさしもするのだけれど、そういう風になってしまっているのだから、その上でできることをやればいいのに、もっともっとと色んなことに食らいつこうとしてしまい、結局一口かじったところでポトリと落としてしまうのが恒になってしまっている。

中途半端に元気だから食らいつく気力はギリギリあるのだけれど、飲み込むほどの体力はないのだろう。

それならば少しずつかじっていけばいいと考えればいいだろうに、一口かじれたものの、それ以上かじれなくなってしまったから他の方へ……というのが続いていてなかなか一つのところにおさまってくれない。

0か100かの思考がそうさせているような気がしている。

元々私は、辰年なのに猪のような性格をしていて、行ける、もしくは行こうと思ったら120%を出して突っ込んでいくところがあるので、気を付けなければと思いつつ、そこで全力を出している時のアドレナリンか何かの気持ちよさが好きで、ついついやってしまうところもある。

それでは体がもたないことも分かっている癖に。

いい加減、80%……いや、60%くらいで安定して走ることを覚えたいものである。

 

今日は、いつもの通院の日だった。

この酷暑のせいか、それとも別のところが影響しているせいか、毎朝すっきりと起きられることはほとんどなくて、でも原因の追究ができないから薬の調整も難航していて、ただただ毎日を垂れ流すのに精一杯になっている。

それでも前進はしているようで、それは亀だったりカタツムリだったりくらいのゆっくりさだけれど、そんな中でも確実に前には進んでいると思っていて、実際、昨年はほとんどぐったりしていたところから、朝、人と通話をしながら作業できるくらいにはなった。

生活する上で、時期によってできないこともまだまだあるけれど、それもレベルが底上げされているように感じている。

それでもエンジンがかかりきるまでにはあと少し足りない気がしていて、それがたまらなく欲しくてしょうがないのが最近である。

過去に、元気で仕事をしていたことを、体が、記憶が知っているせいか、それを基準にものを考えてしまう。

よくないな、とは思うのだけれど、いつも全力疾走で生きてきたものだから、ちょうどいいところが分からなくて、だから今目指すべき状態がどれくらいかもよくわからなくて、そんなことを考えたって仕方がないのに、何か目安を欲しがっている自分がいる。

疲れているのかもしれない。夏だし。

 

もう少し低速で、燃費よく安定して走れる原付くらいを目指して生きてみたらいいのかもしれない。

 

いつの間にか

1号が旅立って、5年が経とうとしている。

いつでも、何があっても、そっとくっついていてくれる、ぬくい小さな相棒だったのだけれど、もらったものはものすごく大きなものだったと思う。

今の犬は、「僕、キッズ!」とでも言っているかのようにふるまう犬で、相棒とは程遠いのだけれど、それがまた可愛いのだ。

27年間犬と暮らしてきて、同じ犬でも、人間と同じように個性があって、それがまた全く違うものだということを学んだ。

それに気付いたのは、今の犬を迎えてからなのだけれど。

 

最近、よく、犬猫の保護動画を見る。

心を痛めることが多い動画が大半で、それなのにどうして見るのだろうかと思うのだけれど、少しずつでもそういう現実を知って、何かできることがあればと考えている。

今は無職みたいなものだから何もできないけれど、そして自分と1頭の犬の面倒で精一杯だから保護活動はできないけれど、いずれ余裕がでたら、保護団体に寄付するというささやかな目標がある(もちろん、保護団体の役目がなくなってしまうくらいになれば一番いいのだけれど)。

未だに

母親というものに縛られているのだなと、我ながら残念に思う。

 

harudama.hatenablog.com

 

通っている病院の先生は、親子関係の形はずっと変わらないよとおっしゃっていたけれど、本当にそうなのかもしれないと思うくらいには、終了しきれていない。

 

現在、母親は同じ市内に一人で暮らしている。

近所付き合いがある訳でもなければ、友人がいる訳でもない。

毎日体操をして、料理をして、YouTubeを見ての繰り返しの生活らしい。

本当は徐々に電話の回数を減らしてフェードアウトしようと考えていたのだが、なんというのだろうか。

ある程度日数があくと、なんだか気になって、結局電話をかけてしまうのだ。

人付き合いがまるでなく、また、する気もない母親なので、ただ一人でさして広くもない部屋で生活していることを考えると、認知症のリスクがあるのではないかとか、色々と余計な心配をしてしまう。

私自身が、いつ母親がいなくなってしまうだろうかという怖さの中で育っているせいなのだろうか。

気になって心配しているというよりは、反射的にというか、そうしなければならないと縛られているようにというか。

そして、ああ、まただ…と思っては、電話の間隔を広くするように用事を入れるなどしている。

 

あの記事一つで自分が完全に変われるとは思っていなかったけれど、ここまで引きずっているとなると、結構問題だなと思う。

 

家に、母という病という本がある。

一度読みたいと思っているのだが、冒頭で既に涙が出てしまって、なかなか読み進められていない。

だけど、こうも縛られているとなると、一度頑張って読み切って、この謎の縛りの正体を自覚して対策した方がいいのではないかと思う。

膿が出る

定期的に。

その日が今日だったのかなぁと思う。

 

ありがたいことに、相変わらず生きづらさから離れてのびのびと暮らしているのだけど、それでも過去というものは隙を見せれば簡単に足を掴みにくるもので。

ほんの10年前なんかは、それがもう苦しくて苦しくて仕方がなくて、働きながら苦しい自分を抱えているのに精一杯で、それでもなんとか当時一緒に暮らしていた犬と、あの場所を守るためだけに生きていた。

我ながら、よく社会の中で削れながらも、うわべの自分を保って生きていたなと思う。

 

harudama.hatenablog.com

 

もちろん今も、コミュニティというものに参加しているので、そういう部分を出すことはあるのだけれど、それ自体が目的ではないだけで随分マシになるものだなと思う。

ただ、これまでの私の苦しみと同じものではないにしろ、夫ばかりにそういうものを背負ってもらっているのは申し訳ないということもあって、自分にできることをやろうともがいているのが今である。

 

手が止まってしまったので、ここまでにしようと思う。