小春日和

だめなひとの雑記帳

未だに

母親というものに縛られているのだなと、我ながら残念に思う。

 

harudama.hatenablog.com

 

通っている病院の先生は、親子関係の形はずっと変わらないよとおっしゃっていたけれど、本当にそうなのかもしれないと思うくらいには、終了しきれていない。

 

現在、母親は同じ市内に一人で暮らしている。

近所付き合いがある訳でもなければ、友人がいる訳でもない。

毎日体操をして、料理をして、YouTubeを見ての繰り返しの生活らしい。

本当は徐々に電話の回数を減らしてフェードアウトしようと考えていたのだが、なんというのだろうか。

ある程度日数があくと、なんだか気になって、結局電話をかけてしまうのだ。

人付き合いがまるでなく、また、する気もない母親なので、ただ一人でさして広くもない部屋で生活していることを考えると、認知症のリスクがあるのではないかとか、色々と余計な心配をしてしまう。

私自身が、いつ母親がいなくなってしまうだろうかという怖さの中で育っているせいなのだろうか。

気になって心配しているというよりは、反射的にというか、そうしなければならないと縛られているようにというか。

そして、ああ、まただ…と思っては、電話の間隔を広くするように用事を入れるなどしている。

 

あの記事一つで自分が完全に変われるとは思っていなかったけれど、ここまで引きずっているとなると、結構問題だなと思う。

 

家に、母という病という本がある。

一度読みたいと思っているのだが、冒頭で既に涙が出てしまって、なかなか読み進められていない。

だけど、こうも縛られているとなると、一度頑張って読み切って、この謎の縛りの正体を自覚して対策した方がいいのではないかと思う。