小春日和

だめなひとの雑記帳

ともだちができた話

ずいぶん前だけれど、思い出したので引っ張り出してみた。

 

harudama.hatenablog.com

 

自分と同じようなベクトルでものを考えている人が身近に欲しかったんだろう。

それが友人であり理解者である主人だった。

 

地球外に人間と同等の生命体がいるのかどうかと同じくらい、地球内に自分と同じようなものの考え方をして同じようなものに惹かれる人間がいるのだろうかということが気になっていたし、知りたかったし、何よりいたら面白いだろうなぁと思っていた。

流石に他人だから自分にコピーとまではいかないけれど、洗濯のタイミングから読む本、音楽、色々なものに興味を持つところなど、大体のことが似ているので、とても気楽に面白く過ごせている。

ただ、私が気になるものを彼に伝えると、大体彼はすでに知ってしまっているのだけれど。

いきものも同様に可愛がってくれるし、今のところ極端に違うのは一部の食べ物の好みくらいだろうか。

 

「言わなくても分かれよ」というのは好きではないけれど、実際に「言う前に分かってしまわれている」「分かってしまえる」というのはなかなか面白いもので、どこまで通じるのだろうかと自分の中で遊んでみたりもする(支障が出ない範囲で)。

相手もそうかはわからないけれど、ちょうどこれが食べたかったという時に「これが食べたいだろうと思って」と、それを買って来てくれることがあるのも面白い。

何が面白いって、外さないからだ。

 

一緒に住みだして数年、今はそのゲームが日常で当たり前になっているけれど、こうやって書くとやっぱり不思議だし、面白いなと思うのである。

 

結局のところ、私は私でいたいだけで、欲しかったのはそれを許してくれる人だったのかもしれないなとも思ったけれど、なんか違う気もして、答えはちょっとよく分からない。

やっぱり、同じベクトルでものを考えている人間だったんだろうか。