小春日和

だめなひとの雑記帳

かかりそうで

かからないエンジンを抱えているような毎日で、いい加減嫌気がさしもするのだけれど、そういう風になってしまっているのだから、その上でできることをやればいいのに、もっともっとと色んなことに食らいつこうとしてしまい、結局一口かじったところでポトリと落としてしまうのが恒になってしまっている。

中途半端に元気だから食らいつく気力はギリギリあるのだけれど、飲み込むほどの体力はないのだろう。

それならば少しずつかじっていけばいいと考えればいいだろうに、一口かじれたものの、それ以上かじれなくなってしまったから他の方へ……というのが続いていてなかなか一つのところにおさまってくれない。

0か100かの思考がそうさせているような気がしている。

元々私は、辰年なのに猪のような性格をしていて、行ける、もしくは行こうと思ったら120%を出して突っ込んでいくところがあるので、気を付けなければと思いつつ、そこで全力を出している時のアドレナリンか何かの気持ちよさが好きで、ついついやってしまうところもある。

それでは体がもたないことも分かっている癖に。

いい加減、80%……いや、60%くらいで安定して走ることを覚えたいものである。

 

今日は、いつもの通院の日だった。

この酷暑のせいか、それとも別のところが影響しているせいか、毎朝すっきりと起きられることはほとんどなくて、でも原因の追究ができないから薬の調整も難航していて、ただただ毎日を垂れ流すのに精一杯になっている。

それでも前進はしているようで、それは亀だったりカタツムリだったりくらいのゆっくりさだけれど、そんな中でも確実に前には進んでいると思っていて、実際、昨年はほとんどぐったりしていたところから、朝、人と通話をしながら作業できるくらいにはなった。

生活する上で、時期によってできないこともまだまだあるけれど、それもレベルが底上げされているように感じている。

それでもエンジンがかかりきるまでにはあと少し足りない気がしていて、それがたまらなく欲しくてしょうがないのが最近である。

過去に、元気で仕事をしていたことを、体が、記憶が知っているせいか、それを基準にものを考えてしまう。

よくないな、とは思うのだけれど、いつも全力疾走で生きてきたものだから、ちょうどいいところが分からなくて、だから今目指すべき状態がどれくらいかもよくわからなくて、そんなことを考えたって仕方がないのに、何か目安を欲しがっている自分がいる。

疲れているのかもしれない。夏だし。

 

もう少し低速で、燃費よく安定して走れる原付くらいを目指して生きてみたらいいのかもしれない。