小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

マンボウになりたい

何故、生きていられるのか。

ゴハンは美味しいし、好きなものはあるし、楽しいこともする。けれど、それが生きている理由になり得るかというと、やはり、ならない。

生きている。それだけでもう既に、苦痛だ。何が辛いと言う訳でもない。

社会や法律なんかの言葉の散弾銃があちこちに散らばっていて、それが銃弾だと信じ込んでいる人がまた、怯えたり暴発させたりしている。そんなもの、ありはしないのに、と書きながらも、自分もそれをちゃっかり使っているところがまた、滑稽だ。

 

マンボウになりたい。どうしようもない、小さなことで死ぬほどびっくりして、文字通り死んでしまいたい。そんなことを、考えていた。

 

考えていた、と打っている最中だったか。すっと私の中に戻って、今、自分の目でこれを読みながら書いている。

コンビニの帰りだったり、電車の中だったり、色んなポイントでそれは起きるのだけど、こうやってブログを書いているときもまた、それが起きるポイントの1つらしい。

 

過労と過労死の狭間にいたことがある。死にたい、ではなく、「あ、飛べるなぁ…」と自然に思ったのだ。高所から落ちる=死と捕らえるのが一般的とされる中で、この感覚が分かるのは、実際にそこに入ってしまった人くらいだろう。どれくらいの人が戻ってきているのかは、知らないけれど。少なくとも私にはまだ、ニート1匹がいたので、「まさか、な…」で済ませることが出来た。それもまた、"悲劇"で済まされてしまうだろう。無理が出来てしまうばっかりに。実際私の無理が、普通の人のどれくらいかは分からない。そういう態度を極力出さないようにしてきた。それが全て崩壊したのだから、よっぽどの事だっただろう。気付く人はいない。相談しても、そうは見えないで片付いてしまう。結果的に今私は、ここにいる。それしかなかった。結果的にとても良かったのだ。今、緊張の糸が切れたかのように、定期的にものすごく疲れる。今までは、それをスルーしてきたのだ。ツケはあと、どれくらいだろうか。