小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

なつやさいのおはなし

なすって嫌いだったんです。

なすびっていう呼び方はかわいいし、あの紫色も好きだったし、ちょっとずんぐりしたようなフォルムも好きだし、ヘタの髪の毛みたいな感じも好きだし、さわり心地もいいし。

でも、何故か好きではなかった野菜なのです。たぶん、ほぼ食わず嫌い。

味噌汁のなすは普通に食べられるけど、焼いたのはだめ、とか。

今では大好きで、300円しないくらいで5本くらい買えるから重宝してます。

カレーに入れてもいいし甘酢あんにしてもいいしひき肉と炒めてもいいし。

おいしくしてあげないとだめな子なのかもしれない。

 

"なつやさい"っていう響きも好きで、春野菜よりは春キャベツだし、秋野菜っていうにはなんか違うし、冬野菜なんて聞いたことあったかな…?

そういうところも好きなのです。

きゅうりやらなすやらトマトやらを畑から取ってきてカゴに並べた時のあの色合いが懐かしくて仕方がない。

 

 小さい頃は、"ふつう"に大きくなって大学にいって家を継ぐのかな、なんて考えてました。結婚して家族を作って…。でも、そうやって考えてみてもなんだかしっくりこなくて、"家族"の中には誰もいなくて、あれー?…あれー?ってなって。

その頃から”ふつう"に生きられないことは知っていて、でも諦められなかったのかななんて思う。

今も折角決まった就職は放り投げるし、それがとても大事なものだとは思えなかった。殻の中に入ってしばらく生きてみて、もういいかなーとか、これじゃないなーとか、そんな時期がきたらぽいっと放り投げて次の殻に移る、そんな生き方をするんだろうな、とか。

そうやって考えているからそういう風な方向にしか進めないんだと言われればそれまでなんだけど、少なくともそれでいいって思っているし、そういう生き方をしてはいけない訳ではないから、そうやって"じぶん"をやっていられたらなー。

勿論ここにいきつくまでは母親と揃って悲劇的に考えてみたりもしたけどそれはとてもつまらなくて何も生まれないし、何度も考えるうちに、まあ死ぬまでに出来ればいっか、で済むようになった。寧ろ行けなくてよかった。母親にねちねち言われる理由が減ったんだもの。

 

今みたいに色々考えられるようになって、母親というものがどうしようもない生き物なんだと痛感した。昨日も電話がかかってきて、やっぱりまだ諦めきれてないみたいで話してしまって、「ほら見ろ、あいつが変わるわけないって言ったじゃん」って頭の中で何かが言ってる。分かってんだけどなあ…「分かってないでしょ」なんて。

結局あの人は何も変わっていなくて、「お金がないなら借りればいいじゃない♪あら、私ちゃんと金銭管理してるわよ?」と言いながらだらしのないことをしてしまう人で、そういう考え方がまずおかしいんだと言っても理解できなくて、「なんでそうやってぱんぱん物を言うの?」と言われる。どれだけ穏やかにものを言っても、だ。

あの人はとても"かわいそうな人"で、"かわいそうな人"という生き方しかもう出来ないのだと思う。そして"かわいそう"だから仕方ないし、私は"かわいそう"なのになんで?としか考えられないのだ。

私もかわいそうな人になることは出来ただろう。今はもう出来ないけど、多分。

きっとその方が楽だっただろうけど、私はあの”かわいそうな人”の部分を酷く嫌悪している。それと一緒になるのが許せないし、なによりつまらない。結果、こうなったのだと思う。

何を書きたいかと言われると、分からない。分からないから書いているんだと思う。誰かがザーッとざらめを入れてくれて、ただひたすらそれを引っ掻き回してもこもこと形にしていくだけのことだ。