小春日和

だめなひとの雑記帳

相変わらず君は、

僕のことを忘れて鍵をかけてしまい、それをマスターキーで開けるのが僕の時々の大切な用事になるのだ。

 

1年前のブログ「はてなは、」などを振り返りませんか?

なんてメールが着たので、そのメールにあった記事を貼り付けてみる。

結果が、この出だしである。

 


そうして1年経った今、同じように拾い物をし続けている。箱は、どれくらい埋まっただろうか。それとも、箱自体が大きくなったのだろうか。

辛い

というものを正面から受け止めるというのは、なかなか大変なことである。

誰もそうだといえばそうなのだが、1~3割しか伝わっていないということを常に認識しながら、自分の意識に入らない程度の適当さを保ちつつ、たまに出てくる欲求を出しかけては慌ててしまいこみ、隙間風のように人と人との間をぬって通り抜けるのが毎日のことである。

いくら意識に入らないようにしていてもいつもそれができるとは限らないので、時々うっかり失敗しては蒟蒻のようにぐんにゃりと部屋で丸まってしまう。

 

 

すごく疲れたのだ。

ほんの1%を見て、その人にしか知らない100%の枠の中に押し込められることに。

はめるだけなら、好きにやってくれて構わない。頼むから、すり合わせようとしてくるな。お前の概念はお前だけの、私の概念は私だけのものである。よそはよそ、うちはうちと教わらなかったのか。家で子供にそう言ってたりしないのか。

 

隙間風をやっていると、すごく疲れる。それは分かりきっていた。だからなるべく最小限に抑えていたこともあったのだけど、それはそれでとても面倒くさかった。

結局、何をやっても生きづらいものは生きづらいのだ、社会にいる以上。

 

もしかするとこれを、五月病というのだろうか。

でも幸い、何かを感じとって反応ができるくらいには回復しているようだ。

 

もしここが一軒家の地下室だったとしたら、私は気がすむまでこうしてみたい。

 

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
       `ヽ_つ__つ
              ジタバタ

      _, ,_
     (`Д´ ∩ < ヤダヤダ
     ⊂   (
       ヽ∩ つ  ジタバタ
         〃〃

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( つД´) < ヤダヤダ
       `ヽ_ ノ ⊂ノ
              ジタバタ

       ∩
     ⊂⌒(  _, ,_) < ヤダヤダ…
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ヒック...ヒック...

       ∩
     ⊂⌒(  _, ,_) 
       `ヽ_つ ⊂ノ  zzz…

可愛らしい

という言葉は、このためにあるのではないだろうか。 このブログを読んでいる人なら、ある程度の人は気付いているかもしれない。もしくは、ただ読むための物だけと認識しているから、そもそもそんなことが書いてあったということすら覚えていないかもしれない。

私は、女学生のような可愛らしいおばちゃんが大好きだ。

2、3人で連れ立ってコンビニに来店し、子犬なんかがじゃれて遊ぶようにころころと店内をまわって新しいものを見つけては、報告しあう。

あるいは、アルバイトの初出勤日に挨拶したのが、同年代では私だけだったというだけで覚えていてくれたおばちゃんは、「もう死んじゃうだけだから!」と言いながら、元気に卓球台の周りを跳ね回っている。

この前の記事書いたレジのおばちゃんは、今日はいなかった。

 

ビタミンが足りていない気がしたので、オレンジを2つ買った。 それから安売りの卵と肉を捕まえてカゴに放り込み、そのついでに、お勤め品の明太子を労わるように卵パックの上に乗せた。 一通り揃えてからレジを通って袋詰めをするのだけれど、詰めていると、おじさんが1人、卵パックを持ってきて、台の上に乗せた。

どうやら奥さんと一緒に買い物に来ているらしい。お出かけ用の背広を着て、ハットをかぶっている。

しばらくして、おばちゃんが来た。 どうして可愛いおばちゃんというのは、そろいも揃って身長150~155cmくらいで、髪の毛はパーマがかってて、少女のような笑顔なのだろうか。

おまけに、「しょうが焼きはあんまり作ったことなくて…ちゃんと作れるかしら。まずいかもしれないけど、我慢してね。」なんて言っている。

おじさんは物静かな人だったけれど、2人の雰囲気はとてもあたたかかった。それはもう、2人にお礼を言って帰りたいくらいだった。

 

そのおばちゃんの言葉選びはとても上手くて、でも日常会話ということは、素のままで出てきた言葉たちなのだろう。 どうせ長生きしてしまうのなら、ああいうおばちゃんになれたらと思う。

僕の鳥

一通りの用事を済ませて家に帰り、どうせ明日がセールだしと思いながらスーパーのネットチラシを見ていたのだが、そういうときに限って今日がセールだったりするものだから、どうしようもない。何がどうしようもないかって言うと何でもないのだが、しいて言えば、明日気付いたのなら諦めもついたのにとか、この暑い中にまた出て行くのかとか、でも少しでも節約したいし…という思いだろうか。

そうして私は、1週間分の鶏胸・腿肉と、卵を手に入れたのである。勿論レジは、あの可愛いおばちゃんだ。土日ということもあってかなりの数のレジが開いており、混雑もしていなかったので、おばちゃんのレジを探してそこに行った。最近では、いる時間帯も把握してきてしまっている。

デパートのような特別丁寧な接客をするわけでもなく、かと言って乱雑に商品をカゴに入れ、無愛想な接客をするわけでももなく、その間のちょうどいいところがとても好きだし、自分が許される気がするのだ。

かつてコンビニ店員だった頃、時給の割に接客態度や気遣いなど、全てをフルで出していた。年数を追えば追うほど、小銭を投げて置くような人やただサンドバッグを探しているような人など、きっと疲れてたり荒んでいたりイラついていたりしているんだろうなと思われる人の率が増えていった。それでも馬鹿みたいにニコニコと接客をしているのが、すごく嫌になったこともある。

だからだろうか。今行くコンビニは、愛想って何ですか?という勢いで下手をすればいらっしゃいませすら言わないし、聞き返さないと聞き取れないくらい声が小さいし、レシートなんかも半ばこちらに飛ばすような形で渡してくる。それでも許されているのが、羨ましい。もちろん、ニコニコとしていたのは自分だし、それはそれでお客さんに色々貰ったりといい事もたくさんあったし、しなければ良かったなどとは思っていない。ただ、何とも言えない思いだけがぐるぐると渦巻いて、残っている。

 

相変わらず”まとも”な生活を送るのに精一杯で、精一杯なのにまだ”まとも”の最低ラインすらクリアしていない。1年前はできていたことなのだけれど。

その間変わったことといえば、人と接することを増やしてしまったことだろうか。

無理なものは無理なのだ。

黄金週間なので

今週のお題ゴールデンウィーク2016」

 

少し変わったことをしようと思うのは毎度のことで、かといって出かけるわけでもなく、本当にいつもの休日と少し変わったことをして終わるのもまた毎度のことで、それによってまた「無駄に過ごしてしまった」と思いつつ、「いや、必要だから結果的にこうなったのだ」と思い直すのもまた毎度のことである。

スーパーで税抜61円の鶏がらを見つけた。鶏がらは4パックあり、普段なら「スープが作れるな」と思いながら通り過ぎるだけなのだが、今日は目の前で主婦が2パック購入していったのに触発されたのか、少し大きめの、この61円のものを手にとってカゴに入れ、レジに向かったのだ。

葱を入れるのは知っていたが、今日は多少高かったので買わなかった。

早速鍋に水と鶏がらを入れて沸騰させ、小さな容器に鶏肉とスープを人間の1食分ほど取り分けた後、鍋にニンニクと生姜を投入する。人間の1食分ほどと書いたが、1号用である。犬や猫に葱類は禁物だ。もちろん個体差はあるが、そんなことを実験して死んでしまってくれたら、どうしようもない。

2時間半ほど、ガス代の不安と戦いながら灰汁をとり、部屋とガスコンロとを行き来していた。はじめは端と端が鍋にぴったりと沿うほどの鶏がらが小さくなり、お玉で多少分解され、出来上がる頃にはちんまりとした塊4つに分かれてしまっていた。

私が購入した部位は丁度首から胴体にかけての部分で、ひっくり返すとレバーを取り除いあとだと思われる部分があった。ちなみに今日はレバーも購入してある。

首はどの部分までだろうか。頭部は確実に取られているとすると、顎の下から後ろ頭と首のつなぎ目のあたりを直線で結んだくらいだろうか。

そういうような”解体”にも興味を持つようになった。人によってはこの鶏がらも駄目なのだろうか。

別に、残虐なことが好きなわけではない。食べるための対象にただ興味があるだけである。ごめんねを言わずに、まっすぐに「いただきます」と言えるようになりたいと思っただけのことだ。

 

しっかりと煮込まれた鶏がらはとてもやわらかく、ほろほろととれる身を集めていると、首の骨なんかも一緒にほろほろと1つ1つの骨ごとに取れてしまって、結局1つの骨を指先の中でくるくると回転させながら身を取らなければならなかった。時々でてくる板のような軟骨は、そのまま口へ運んだ。

そうして身をはがしながら、その長さなんかで、肉の筋の流れを考えたりもした。

 

できた鶏がらスープは半分冷凍、半分冷蔵し、冷蔵の分の中から0.5合の米を炊く分をよけ、それとはがした肉でご飯を炊いたところだ。今炊けたのだが、味付けを忘れたことを思い出した。味付けといっても、塩1つまみくらいで調整するだけなので大したことはないのだが。

 

これで1つ、変わったことを終えたので、明日からはいつもに戻る用意をしなければならない。そしてまた、次も同じようなことを繰り返すのだ。