小春日和

だめなひとの雑記帳

引きこもっていても

生きづらいことは生きづらいなぁと思う。

頭が騒がしかったりだとか、じっとしていられないことがあるだとか。

まぁ、それも外に比べれば大分小さなものなんだけれど。

 

梅雨時は、なめくじのようにほぼほぼ布団の上で過ごしていた。

仕事は1ヶ月空けられるように調整して、体調不良のための環境を整えて、最低限のことをすればいいだけにしておいた。

YouTubeを観たり、ゲームをしたりがメインで、時々絵も描いた。

幸い気持ちは良くも悪くも安定してくれているので、相変わらずあまり何も感じないまま淡々と砂をかむような日々を送っている。

4月5月の元気の良さは、完全にどこかに行ってしまったようだ。

そんな中でも生きる環境は整って、さてどうしようかというところに来たので、今度は色々な残骸を寄せ集めて整えて形にしていけたらいいなと思っている。

 

 

6月は

何をしていたのだろうかと過去をさかのぼってみたけれど、何も残されていなかったので、そういうことなのだろう。

手も頭も何も働かなくて、とりあえず目の前の仕事をこなすのが精一杯で、味気ない日々を過ごしている。

休みたいのにいざ休むと暇で何もできなくて、何をやっているんだろうなぁなんて思いながら。

月刊中だるみ

月末に疲労に気付き、月初に休みを取る。

そのぬるま湯に慣れてしまって、半ば後半から目標達成のために頑張りだし、そしてまた披露して月初に休みを取る、そんなサイクルで活動している。

果たしてそれがいいのかどうかは分からないが、休んでいる間はブログや絵などに集中できるので、これはこれでいいのかもしれない。

 

いわゆる主婦業というものも同様に、しんどい時はネットスーパーや総菜に頼り、元気な時にせっせと作り置きをする。

幸い、お互いが自分のことは自分でする前提で無理な時は補い合うという考え方で生活しているので、衝突が一切なくてありがたい。

洗い物がきれいにしきれてなかった、これはやめてほしい、などもお互いがそのまま言えば「そうか、やり方を変えよう」に変わるので、こういうやりとりをしていると、家族も結構組織っぽさが強いんだなと感じる。

後は私がまともに稼げさえすれば、色々と捗るのだけれど。

 

今日は特にやる気が出ず、ちんたらと作業をしてはTwitterを眺め、またちんたらと作業をしてはゲームをし…という状態だったので、思い切ってやめてしまった。

使っているお絵かきソフトの使い方がまた一つ分かったので、収穫はあった。

 

珍しく、電光掲示板が動いていない。

最近は系統の違うブログばかり書いていたものだから、もしかするとスイッチが切り替わっているだけなのかもしれないけれど、調子が万全とは言えない状態なので、多少心配ではある。

とはいえ、私の中から完全に消えてしまうことはほぼないと思うので、またチカチカと点滅し始めて、やがて点灯するまでの間を楽しんでやることにする。

日記といふものは

とても面白い。

10年日記を書き始めて、1ヶ月と22日が経った。

最近は、2日に1回まとめて書いていたりもする。

その上、1行しか書かないことも増えてきた。

 

過去の手帳もそうだけれども、文字のきれいさや量は体調に左右されていることが圧倒的に多くて、最近は字が汚くて量も少ないから、やっぱりよろしくないのだと思う。

実際に、病院に行くだけでエネルギーがマイナスに振り切ってしまっていたし。

 

毎日は飛ぶように過ぎていって、習慣という名のポイントで今日もここまできたのかと認識するのだけれど、そのペースがとても速いものだから、これは一体いつの歯磨きなんだっけ?と思ったりもする。

そうして気付けば5日、10日、20日と過ぎてしまっているのだ。なんとも恐ろしい話である。

 

時の流れが速く感じると、老化が遅くなるという話を聞く。

そういう意味ではいいのかもしれない。

箱の世界

いつも、1DKの1人で住むなら狭すぎず広すぎない部屋におさまっている。

1週間168時間のうちの平均160時間くらいを、ここで過ごす。

時々、外に出る。

ドアを開けると、全然違う世界のように感じて、場違いのようで、ひるんでしまって、エレベーターに乗るのが怖くなることがある。

それは、年末年始の、人や車通りの少ない静かな空気に通ずるものがあるのだけれど、毛色は違っていて、突然全然知らないRPGの世界に放り込まれたような、そんな疎外感があるような気がする。