小 春 日 和

だめなひとの雑記帳

下ばかり見るな

苛々をどうにも飼いならせず、なんとかここ数日分の食料を手に入れて自転車から降りたとき、いつもブログの記事を考えては所構わず読み上げてくるもう一人の自分に「掃除をすればいいじゃない」と言われたので、生活を営むためのスペース半分の掃除をしてきたところである。

この前宅配の人が来たとき、開いたドアの光で隅の方にかなりの埃たちがたまっているのを見つけたので、ベタに雑巾がけから始めた。掃除機?どうせしまいに拭いてしまうのだから、同じことだ。

半分ほど拭いたとき、思い出した。掃除の鉄則は、上から下だと。雑巾はもう1枚あったので、急遽、その雑巾を上拭き用にした。懐かしい雰囲気になった。

 

f:id:harudama:20151230115456j:plain

 

別の部屋にいる1号を見ながら「ばいばーい」とドアを閉じ、掃除をする。ドアを開けると1号は、さっきは座っていたのに、立ち上がって何だ何だとこちらを見ている。そんな遊びをしながら、半分の掃除を終えたのだ。

 

購入した食料の中に、アサリが15匹いた。私はアサリが大好きだ。昔はよく飽きもせず、冷蔵庫にしまわれているアサリのパックを取り出し、口を突き出しているアサリを見つけるとつんつんと突いては、その動きを眺めていた。それは今も変わらないのだが、あまり長くやるとかわいそうだし、何より少しでも美味しいうちに食べたい。

仕方なく50度のお湯に放り込み、がしゃがしゃと音を立てて砂を吐かせるのを2回、繰り返した。1回目で半分のアサリが口をだらりと貝の隙間からのぞかせ、突くととてもゆっくりと動いた。2回目で、全てのアサリが動かなくなった。私はアサリを15匹、殺したのだ。

 

買い物をするのはとてもストレスなので、なるべく人のいない時間帯に行く。自分の選ぶもの以外はどうでもいいとばかりに指でパックを突っつきまわし、放り投げるものが多すぎるのだ。

あれだけ子供に命は大切だとバカの一つ覚えみたいに繰り返し、感謝しろと教えるくせに、このざまなのだから、一体どうなっているのだろうかと考えるのもまた、バカの所業である。

確かに死んだ生き物は物体にしか見えない。しかしそれは少し前までは生きていて、食べる為にその命を奪われたものたちである。更にそれらは売り物であり、まだお金を払っていない以上、お店の所有物である。そんなことをありとあらゆる場面において考えてしまうので、私にとって外というものはとてもせわしなく忙しく、理解できないものである。

 

セメントとコンクリートの違いを考えながら自転車をこいでいて、青空が目に入った。抜けるような、綺麗な空である。町は年末モードに包まれているせいか、いつもより大分穏やかに感じられた。それは私の心の余裕も関係するのかもしれない。

いつもは情報量がおおすぎるので、なるべく上の方を見ないようにしている。している、といってもそれは無意識レベルなのだが。それでも見上げたくなるような、いい色の空だったのだ。