小春日和

だめなひとの雑記帳

近況

最後に涙を流したのは、1ヶ月以上前だったか。
目が乾燥していることにすっかり慣れきってしまい、目には涙腺があるということもまた、すっかりと忘れきってしまっていた。
安定しているように感じるのに実はきれいな不安定のままで、薬を減らしたいという思いだけが先走り、もらった袋には、エビリファイという文字と導入方法がボールペンで書かれていた。

それが抗鬱剤ということや統合失調に効くということだけは知っていたのだが、どうやらフラッシュバックにも効くらしい。
これで楽になるのだろうかと期待もするが、やはり、何も飲まずに普通に生きたいと思うのである。
その帰り道に、それまでは何ともなかったのに、急に涙腺が緩みだしてきた。
涙を流すという行為には目を洗浄する効果もあるので、それを期待して無理矢理泣こうとしても全然泣けなかったのに、である。
みっつ前の停留所で降りてスーパーをあさり、本来の停留所へ着くころには、最寄りの方面へのバスがあと十数分で着くであろうところだった。
今日は、乗り継ぎの運がとても良い日だった。寒かったので、ありがたい。

帰るときには確かにラーメンが食べたかったから袋ラーメンを買ったのに、お湯が沸くころには食道の気持ち悪さしか残っていなかった。
食べてみたけれど、やっぱり、期待したものではなかった。
また、食べ物の味が分からなくなっているのだろうか。

そんな毎日を送っている。
気は、とても楽だ。もちろん考えることは山積みだけれど、それでも、ずいぶん楽だ。
体は、よくわからない。きちんとご飯を食べているつもりでも、体重が減っていた。思い出すと、確かに1日2食以下の日がある。訳が分からない。
何が追い付いていて、何がおいていかれているのか。それとも実は、何も追い付いていないのではないのか。

こういう文章を書きながら何を考えているかというと、おそらく私自身は何も考えていなくて、私の中の電光掲示板が、私が認識できていないことを言語化しているように感じる。
私はただ、電光掲示板が示すとおりに打ち込んでいるだけなのだ。
何かが浮かぶということは、そういうことなのかもしれない。

涙がとまった。

どうやら、目の洗浄が終わったらしい。

 

久々の外や人とのやりとりは、とても疲れる。

同じような人たちであれば何も気にならないのに、そういう人たちが増えたから、なおさらギャップを感じるようになってしまった。

光が強くなれば、である。

まともじゃない方でまともに生きることを求めているのに、定期的に、悪いことをしているかのように感じることがある。

今日が特にそうだ。

何でもないことに悪意を感じる。それは、自分が悪いからだという謎の罪悪感が、いまだに離れない。

小さな隙間に

挟まりこんで、両腕両足をつっぱりながら、にじりにじりとよじ登っては諦めかけて少し落っこちてみて、それでもやっぱり諦めきれなくてつっぱって、またにじりにじりとよじ登る生活を、ずっと続けている。

最近またその、落っこちるんだか再び登り始めるんだかのサイクルに入ったのか、安定剤の上から下から構わずあふれ出てしまう不安定感を何とか飼いならしながら、1つの区切りを終えたところである。飼いならした、というよりは、仕方ないなと養生させてやっているだけなのかもしれない。

 

気が付いたら頭の中の電光掲示板は業務中以外仕事をしなくなってしまって、むしろこっちの方が本業なのだから起きろよと言わんばかりに無理矢理色々考えてみたりもしたのだけれど、よく考えてみると、それまで読書や音楽などで色々インプットしていたものが全部なくなっていたのだから、これはもう仕方のないことだったのだろう。

おかげで今は、そんなに本は読んでいないし、音楽も以前よりは多少聴くようになった程度だけれど、そこそこ文字を流してくれるようになった。

私は、それをここに打ち込むだけで、このブログのできあがりである。

猪のごとく


馬鹿みたいに前向きで、馬鹿みたいに都合よく理屈をこね、馬鹿みたいに開き直る。それが、ここ最近の私である。

1~3年に一度は職を変わってきただけあって、多少は図太くなれたのだろう。

いくら社会にいようが、結局一人の人間であることに変わりはない。

その、ただの一人の人間の一生をどう使おうが構わないじゃないかと今私は、面白い仕事探しに夢中になっている。たかだか生活費を稼ぐための仕事なのだから何でもいいのだけれど、そして自分なら何でも楽しめる性質なのだがら尚更何でもいいのだけれど、それでもどうせなら面白い方が…と欲を出す自分が、結構好きだ。

今の仕事も好きだし、楽しさもあった。けれど、環境はどんどん厳しくなっていっていて、これからの”面白いこと”のために動くことができなくなっていって、気付たら自律神経をやられて寝込んでいる自分がいたので、辞めることにした。

先のことなんて、決まっていない。不安がない訳ではないけれど、いい意味でなるようにしかならないのは良く知っているし、何より私は運がいい。今の仕事も、そういうところに運よく見つかった職場だった。そういう勘も悪くはないようなので、この状況を楽しもうと思う。

 

 

1年ぶりの再読。

いろいろなヤマモトがちょくちょく現れる私は、恵まれていると思う。

【2017】再び

来年はほぼ日手帳オリジナル1本でいくつもりだったのに、結局また、ジブン手帳miniを塚購入。ちなみに今年は、色に惹かれてWEEKSを追加しました。そしてこの状況なので、やっぱりオリジナルは真っ白で、WEEKSは持て余しています。もったいない。

購入したのは、グリーン。安いのは人気がないからか…?LIFEは要らないので、DIARYのみで購入。家やニートたちなど、環境なんかを上手いこと整えるために活用しようと考え中です。

【2017】

9月1日にLOFTに走ってほぼ日手帳を手に入れること、これはもう私の年1回の行事になっている。

ここ数年間私好みのカバーがなかなか出なかったので3年ほどカラーズのチョコオレンジを使用していたのだが、そろそろほつれや汚れが目立ち始めて、今年いいのがなかったらどうしようかと考えていたのだけれど、丁度いいタイミングでブラック×ピスタチオが出たので、迷わずこれに決定した。

ここまで書いて再確認したのだが、やはり私は食べ物が好きらしい。選ぶ色合いの基準は、”美味しそうか否か”である。

 

こうして書いていると充実した手帳ライフを送っていそうなのだが、今年ももう9月半ばにさしかかろうというのに、まだ1/4も埋まっていない。白いページもしんどかった記録の1つだと思っているのでそれは構わないのだが、あまりにも真っ白すぎて、昨年との差に流石に少し戸惑いを覚えている。とはいえ実際に手帳を開く余裕がないというのも事実なので、もう少しなんとかしたいところである。

そういうときに”すきまをつくろう。”というコピーを目にしてしまったのだから、きっと、今の私にとって大切なことなのだろう。

 

harudama.hatenablog.com

2017年もやはり、使い方は変えずにいくつもりだ。

週間手帳での金銭管理の方は、結局できていない。今は、違うスケジュール帳を使用して記録を始めて2ヶ月経つ。

シールを使ったりしてテンションをあげていくつもりだったのに、それをする気力がない。

 

うめるためのすきまがほしい。