小春日和

だめなひとの雑記帳

分かってないフリ

色んなことを忘れられることが増えた。

というのも、何かしらの手続きが多いからなんだけれども、「名義変更と引き落とし口座変更」と伝えたのに、最初から引き落とし口座変更しか聞いてないですよという風にふるまわれたりする。

それ1つはとても些細なことなのだけれど、それが2つ、3つと重なると、それはもう面倒でしかない。

かといって、「名義変更と引き落とし口座変更とお伝えしていましたが」というと、そこで1つのやり取りが発生する。

それもまた、とてつもなく面倒くさい。

それならば、「あの手続きだけじゃなかったんですかー知らなかったですー」と知らないふりをしている方が楽である。そう、楽である。楽なのだが、それはやっぱり面倒でしかない。

面倒の結果楽になっただけで、結局面倒なのだ。

言ったまま、そのままをしてくれたらいいのに…と、何度か思った。

人は完ぺきではない。

そのくらいは知っているつもりだし、実際に自分もそうだ。

それでも、立て続けだとさすがに、自分がおかしいのではないかと思ってしまう。

面倒なことに変わりはないのだが。

怒ることも、クレームを入れることも、コストを考えるとしたくない。結局一番省エネな方法が、「知らなかったですー」式なのである。

もう、全てのやり取りがメールになればいいのに。

文字として証拠が残る分確認できるし、わざわざ声である必要があるのだろうか。

…なんて思うのも、私が聴覚過敏だからかもしれないけれど。

ただでさえ音が神経に刺さるような感覚なのに、受話器という媒体でわざわざ更に近づける必要性が分からない。友人や家族との電話は平気だけれども。

もしかすると、知らない声に過剰に反応しているだけかもしれないな、知らんけど。

日記といふものは

とても面白い。

10年日記を書き始めて、1ヶ月と22日が経った。

最近は、2日に1回まとめて書いていたりもする。

その上、1行しか書かないことも増えてきた。

 

過去の手帳もそうだけれども、文字のきれいさや量は体調に左右されていることが圧倒的に多くて、最近は字が汚くて量も少ないから、やっぱりよろしくないのだと思う。

実際に、病院に行くだけでエネルギーがマイナスに振り切ってしまっていたし。

 

毎日は飛ぶように過ぎていって、習慣という名のポイントで今日もここまできたのかと認識するのだけれど、そのペースがとても速いものだから、これは一体いつの歯磨きなんだっけ?と思ったりもする。

そうして気付けば5日、10日、20日と過ぎてしまっているのだ。なんとも恐ろしい話である。

 

時の流れが速く感じると、老化が遅くなるという話を聞く。

そういう意味ではいいのかもしれない。

追いたてられるように

食事、仕事、食事、仕事、食事、書き物などの作業を一通りこなして寝床に入り、また次の日、洗顔や歯磨き、2号の餌やりとまた作業をこなしていく中で、1号の水やりにたどりついた時、ふと我に返るのが最近の日課になった。

遺影として飾ってある写真は本当にいい顔をしていて、きちんとしたカメラで撮ったものだから、被毛の1本1本が鮮明に写っていて、(そうそう、この辺の毛先がよく絡んじゃって…)なんてことを思い出しては、やっぱり涙を流してしまう。

悲しいとか、辛いとか、不思議とそういう感情はなくて、自分でもよくわからないのだけれど、涙を流すべくして流しているというか、それはとても当たり前のことでしかないように感じている。

もしかしたらそれを悲しいというのかもしれないけれど、正直私は感情と言葉のつながりがよくわからず、困ってしまうことが多々あるのだ。

「楽しい」もわかるけれど、しっくりこない。高揚感ならば納得できる。それは確実に含まれているものだから。

「怒る」は少しわからない。「どうしてそういうことになるの?」と思うことはあるけれど、解決方法を可能な限り探して対処することが多いし、そもそも「イライラ」という方がとても近く感じる。

「悲しい」は、なんだろうか。卵を取り落として割ってしまったときなんかは、「悲しい」という。けれどその中身は、食べるものを駄目にしてしまったという罪悪感が大半を占めている。

では、今回は。

言葉に表せない感情が渦巻いている、とでも言うべきなのだろうか。

ただただ、もういないという事実だけが突き刺さっていて、それで、…。

時間を巻き戻せるならば、また会いたいと思いはするけれど、それはもう一度あの苦しみを味わわせることになる。それは嫌だ。だから、帰ってきてほしいとは、きっと違う。

後悔はゼロとは言えないけれど、それでも、ほとんどない。

なのに、どうしてだろうか。

ぼんやりと思い出したのは、引き出し1つ1つを丁寧に片づけるのは得意だけれど、その中の小物入れにこまごまとした小さなものを片づけていくのはとても苦手だったことだ。

どうしまっていいのかが分からなくて、ただただいろんな色の小さな文具やらが視界いっぱいにチラチラと映りこんできて、情報が多すぎて何をどうしていいのかまったく分からずに、一緒に片づけている母に託しては、放り出して遊びにいっていた。

もしかすると、それに近いのかもしれない。

とっ散らかった思い出や、思いや、その他いろんなものを、私は片づけなければならない。こればっかりは、自分でやるしかない。その苦しみが涙として表れているのかもしれない…そんなことを考えた。

もうすぐ

あと4日で、百カ日がきてしまう…という表現で正しいのだろうか。

あれからもう100日、まだ100日…どちらがより近いのか、分からない。

1号の気配はもう完全に部屋から消えてしまっていて、今は彼の住処であったケージの上に、遺骨と水とご飯、首輪とリード、それから写真を一緒に置いている。

夏には体を冷やせるように小さな大理石の板を用意していたのだけど、その上に食器を置いたらなんだか妙にそれっぽくなった。

彼は本当に我が家にいたのだろうか、そんな風に思うことが増えた。

確かに11年と4ヶ月と19日という長い時間をこの部屋で過ごしてきていたはずなのに、まだ彼の住処や心臓に負担をかけないためのコートや、自転車に乗せるためのキャリーバッグも残っているのに、存在だけがきれいに片づけられてしまったようで、とても不思議な心境を味わっている。

私も彼の存在のように、この気持ちやその他諸々をきれいに片づけて、大事にしまっておけるようになるのだろうか。

やうやう白く冷えゆく窓際

 急激に冷え込みすぎやしませんか。

はてなのエディターも変わってるし、なんだかカスタムURLとかあるし(前からあった?)、なんだかとても取り残された気分。

とか書いておきながら、ヤマトが来るのが待ち遠しくて、正直そんなことはどうでもいいかもしれない。

 

ついに手を出してみた。石原の10年日記。

石原出版社 日記 2019年 石原10年日記 B5 こげ茶 N101901

石原出版社 日記 2019年 石原10年日記 B5 こげ茶 N101901

 

子どもの頃、母が家族日記と育児日記でそれぞれつけていた。当時は何にそんなに惹かれたのか自覚はしていなかったけれど、母が日記をつける姿を、とても興味深く眺めていた。 

今年、30歳を迎えた。来年の1月から日記を始めれば、終えるのは39歳。今からなら、10歳ごとに新しい日記を買えることになり、キリがいい。そりゃ、買うでしょ。

 

ほぼ日手帳で日記を兼ねていたから必要ないかと思っていたけれど、10年間のその1日を一度に眺められるのはとても魅力的だと思う。

 

という訳で、来年は、私生活用にほぼ日手帳、事業用にEDiT、それと石原10年日記にお世話になることにした。

 来年は、今年よりももっと、"書く"年にしたい。