あと4日で、百カ日がきてしまう…という表現で正しいのだろうか。
あれからもう100日、まだ100日…どちらがより近いのか、分からない。
1号の気配はもう完全に部屋から消えてしまっていて、今は彼の住処であったケージの上に、遺骨と水とご飯、首輪とリード、それから写真を一緒に置いている。
夏には体を冷やせるように小さな大理石の板を用意していたのだけど、その上に食器を置いたらなんだか妙にそれっぽくなった。
彼は本当に我が家にいたのだろうか、そんな風に思うことが増えた。
確かに11年と4ヶ月と19日という長い時間をこの部屋で過ごしてきていたはずなのに、まだ彼の住処や心臓に負担をかけないためのコートや、自転車に乗せるためのキャリーバッグも残っているのに、存在だけがきれいに片づけられてしまったようで、とても不思議な心境を味わっている。
私も彼の存在のように、この気持ちやその他諸々をきれいに片づけて、大事にしまっておけるようになるのだろうか。