小春日和

だめなひとの雑記帳

生きはじめました。

4月、5月と仕事がなくなってしまったので、絵を描いたりアニメや漫画をみたりして時間を消費している。

以前のいつまで続くか全く見当のつかない休みとは違って、今回はいつまでかは分からないものの一応期限のある休みなので、落ち込むことなく今の自分なりに有意義に時間を使えている気がする。

そんな感じなので、今、いい感じに生きているなぁと思う。

引きこもりがちで散歩なんかも全然できていないから不健康なのだけれど、心は軽く、やりたいことなんかも出始めてきた。

相変わらず本はまだ目が滑って読めないけれど、少しずつなら読める気がする、というところまできた。

このままうまいこと続けばいいのだけれど、そうはいかないのがきっとこの体なので、その中でもうまく波乗りをするコツを少しでも早く見つけられたらいいなぁとは思う。

1つ見つけても、次の波が同じとは限らないから、また見つけなければならないことも度々出てくるだろうけれど。

 

最近の2号(セキセイインコ)は相変わらず元気で、たまに「ぶー」や「ピピィ」と自己主張しながらも、毎日楽し気に歌ったり、「2号ちゃん(仮)、かわいい!」と自画自賛したりしながら過ごしている。

1号がいなくなってから随分経つが、また犬と暮らしたいとは思いながらも思い出すのは1号ばかりで、またあの子と暮らせたらいいのにとよく考えている。

3号の金魚が旅立ったのが、数年前のちょうど今頃だっただろうか。

段々といろんなことが片づけられていくようで、それと同じように自分の身の回りが整っていって、最近ようやく、生きる準備ができてきたような気がしている。

32年間生きてきて今更かとは思わなくもないけれど、あのままただただ突っ走るように生き続けていたことを考えると、なんというか、うまいことできているんだなと思う。

できていると言っても、結局はこれまでの積み重ねなのだろうけれど、そういうことができる余裕が作れたのは、とてもよかったのではないだろうか。

 

harudama.hatenablog.com

 

3年前のことが、とても遠く感じる。

実際に結構遠いかもしれないし、案外近いかもしれないけれど。

 

生きている

春のそわそわが始まったのか、この秋冬よりは元気に暮らせている。

そんなタイミングでの主治医の「薬を調整しようか」の一言となってしまったので、少し困惑している。

減らしたら元気になるのは分かっているのだが、元気になり過ぎてしまうと色々とやらかしてしまう。聴覚過敏なども強くなってしまう。それは避けたい。

けれど、今までの量を飲んでいると、とてもつまらない。

だったら少しだけ減らせばいいのだけれど、春のそわそわが始まってしまっているので、そこも考えてやらないといけない。

もしかしてこれは、年中薬の量を調整して波乗りをしなければならないのではないだろうかということに気が付いてしまったのかもしれない。

早いところ自分をきちんと操縦できるようになりたかったのに、また一つ、問題ができてしまった。

でもまあ、急死しなければ人生なんて腐るほどあるんだから、いずれいいように…ならないかなぁなんて考えている。

やすみやすみ

生きている。そんな感じだ。

といっても休みの方がずいぶん長くて、じゃあ一体いつ生きているのかって言うと、また絵の練習ができるようになったとか、小さな目標ができたとか、そういうところなので、実はそんなに生きていないのかもしれない。

頭の中の電光掲示板もすっかり休みモードだ。

今まではこうやってPCに向かうと何かしらを垂れ流してくるので、それをカタカタと打ち込むだけだったのだけれど、今は流れたとしてもすぐに途切れてしまう。

たぶん、薬のせいだろうなあと思う。

感情の起伏がなくなって、おだやかといえばとても穏やかなのだけれど、好きなことにもあまり反応できないし、テンションが上がったかと思っても、それはどこか上から押さえつけられているような感覚で、そんな自分をすぐに俯瞰して見てしまい、上がりかけたテンションは逃げるように引っ込んでいってしまうのだ。

つまらない。

とても、つまらない。

何のために生きているのだろうかとさえ思う。

そんな中で久しぶりに絵の練習をしようと鉛筆とノートを出して、数ページも進められたのだから、これはとてもすごいことなのではないかと思う。

 

感情の起伏がないと書いたが、感受性はたいそう豊かで、ちょっとしたことで勝手にこみあげて涙が出てしまうので、これも困っている。

副交感神経が大分優位になっているのだろうか。

いつかは、写真の展示をやっているアトリエで涙が出てきてしまって、とても焦った。

 

薬をやめてしまえば、ある程度活き活きと生きられるのだろう。

半年くらい薬を抜いていたことがあったけれど、その時は元気だった。仕事をしなければ。

ただ、衝動性が高く、何かしらをやり過ぎてしまう面があるので、人間が絡むことは避けた方がいいのかもしれない。

数年前には、やっと乗りこなせるようになったと思ったこの体だったのに、今ではどう操縦していいやら分からないどころか、分からなさ過ぎて他の誰かが操っているのではないかという気さえする。そんなことはたぶんないのだろうけれど。

来年は、もう少し生きていればいいなあと思う。

そんな、11月の末。

6月は

何をしていたのだろうかと過去をさかのぼってみたけれど、何も残されていなかったので、そういうことなのだろう。

手も頭も何も働かなくて、とりあえず目の前の仕事をこなすのが精一杯で、味気ない日々を過ごしている。

休みたいのにいざ休むと暇で何もできなくて、何をやっているんだろうなぁなんて思いながら。

モーニングページ、始めました。

最近、何かしたいのに何もできなくて困っている。

脳みそのメモリが足りない、とでも言うべきだろうか。

やれることは色々あるのに、いざ取り出してみるとなんだか違う気がして元通りにしまってしまう、そんな日々が続いているので、モーニングページというものを始めることにした。

創作をしたいけど何からやれば…とか、そういう人向けだとも聞いたような気がするが、私の把握していることがかなり曖昧なので、深くは書かないでおく。

内容は、毎朝ノートに3ページ、頭に思い浮かぶことをひたすらノートに書き写す。それだけである。

書く瞑想、と言われるものになるのだろうか。

そんなに書けるだろうかと思いながら1ページやってみたのだが、頭は結構せわしなくいろいろと考えているみたいで、11分程度でA5のノート1ページが埋まった。

そんなたいそうな内容は書いていなくて、車の音がするなとか、お腹空いたなとか、こういうの書きたいなとか、そういう普段の思考そのものをただ羅列しただけである。

これだけでも頭が整頓されるみたいで、続けていくと面白そうなので、このまま続けることにした。

 

最近は読書などのインプットがてんで駄目で、そういう情報もなかなか自ら仕入れるということができないでいたので、この情報は嬉しかった。

続けてみて、変化があったらまたまとめようと思う。

忘れるかもしれないけれど。