小春日和

だめなひとの雑記帳

もうすぐ

あと4日で、百カ日がきてしまう…という表現で正しいのだろうか。

あれからもう100日、まだ100日…どちらがより近いのか、分からない。

1号の気配はもう完全に部屋から消えてしまっていて、今は彼の住処であったケージの上に、遺骨と水とご飯、首輪とリード、それから写真を一緒に置いている。

夏には体を冷やせるように小さな大理石の板を用意していたのだけど、その上に食器を置いたらなんだか妙にそれっぽくなった。

彼は本当に我が家にいたのだろうか、そんな風に思うことが増えた。

確かに11年と4ヶ月と19日という長い時間をこの部屋で過ごしてきていたはずなのに、まだ彼の住処や心臓に負担をかけないためのコートや、自転車に乗せるためのキャリーバッグも残っているのに、存在だけがきれいに片づけられてしまったようで、とても不思議な心境を味わっている。

私も彼の存在のように、この気持ちやその他諸々をきれいに片づけて、大事にしまっておけるようになるのだろうか。

やうやう白く冷えゆく窓際

 急激に冷え込みすぎやしませんか。

はてなのエディターも変わってるし、なんだかカスタムURLとかあるし(前からあった?)、なんだかとても取り残された気分。

とか書いておきながら、ヤマトが来るのが待ち遠しくて、正直そんなことはどうでもいいかもしれない。

 

ついに手を出してみた。石原の10年日記。

石原出版社 日記 2019年 石原10年日記 B5 こげ茶 N101901

石原出版社 日記 2019年 石原10年日記 B5 こげ茶 N101901

 

子どもの頃、母が家族日記と育児日記でそれぞれつけていた。当時は何にそんなに惹かれたのか自覚はしていなかったけれど、母が日記をつける姿を、とても興味深く眺めていた。 

今年、30歳を迎えた。来年の1月から日記を始めれば、終えるのは39歳。今からなら、10歳ごとに新しい日記を買えることになり、キリがいい。そりゃ、買うでしょ。

 

ほぼ日手帳で日記を兼ねていたから必要ないかと思っていたけれど、10年間のその1日を一度に眺められるのはとても魅力的だと思う。

 

という訳で、来年は、私生活用にほぼ日手帳、事業用にEDiT、それと石原10年日記にお世話になることにした。

 来年は、今年よりももっと、"書く"年にしたい。

箱の世界

いつも、1DKの1人で住むなら狭すぎず広すぎない部屋におさまっている。

1週間168時間のうちの平均160時間くらいを、ここで過ごす。

時々、外に出る。

ドアを開けると、全然違う世界のように感じて、場違いのようで、ひるんでしまって、エレベーターに乗るのが怖くなることがある。

それは、年末年始の、人や車通りの少ない静かな空気に通ずるものがあるのだけれど、毛色は違っていて、突然全然知らないRPGの世界に放り込まれたような、そんな疎外感があるような気がする。

鬱蒼した竹藪の中を、ただひたすらに突っ走るようにして生きてきた。

はてなが、1年前やそれ以前の11月頃に書いたブログをのせたメールを送ってきた。

その記事の中で私は、そういう生き方をしていたということを思い出した。

何に対してどう自分が傷つけられるのかもわからないまま、ただ目の前の生活を送るためだけに走り続けていた。

転んだり、ひっかかったり、擦りむいたりしながら。

 

それは今はなくなったとは言わないけれど、当時から比べたら随分よくなったように思う。

そのきっかけのほとんどは人で、そういう出会いに関してはとても恵まれている、私は。

何から身を守りたかったのか、どういうことがつらかったのか、これから何をしないで生きていくのか。

そういうことと向き合い、7年くらいかけてようやくそれなりに片づけることができた。

もう大丈夫だとは言い切れない。

 

まともじゃない方でまともに生きることを求めているのに、定期的に、悪いことをしているかのように感じることがある。

近況 - 小 春 日 和

 

けれど、こういうことはなくなった。

私が生きることに、そしてその方法について、誰の許可も必要とはしない。

もちろん、許可が必要ないきものを飼育したいとなれば、そういう許可はもらわないといけないけれど、せいぜいそういうことくらいだ。

 

今日は、1号の四十九日である。

調べたところ、来世の行き先が決まる日らしい。

彼は、とてもいい犬だった。輪廻転生とかはよくわからないけれど、あるとするならば、彼に相応しい行き先であればいいと思っている。

百カ日という、死別の悲しみに区切りをつける日があるらしい。

彼を火葬してくださった人は、泣くことが供養になるとは思いませんとおっしゃった。

それは確かだと思う。それで彼が喜ぶとも思えない。

けれど、私の肉体や精神は、泣くという形で感情を整理しようとしている。

それならそれで、泣くことは必要なことだと判断し、とりあえず百カ日までは、そこに甘えていようと思う。

 

11年という間、いろいろなことがあった。擦り切れるような生き方をしてきた。

そこに、ずっと一緒にいてくれた、言わば相棒のような存在だ。

そういう彼がいなくなったのだから、これくらい許されるだろう。

 

仏教は詳しいわけではないけれど、とても優しい部分を持っているのだなと思った。

 

彼を火葬した日の夕方、仕事を紹介してもらえた。

紹介してくれた方に失礼かもしれないけれど、でも、どうしても彼がその機会をもってきてくれたようにしか思えなくて、少し落ち着いてから、飛び込んでみた。

それは、私がずっと望んでいた生き方への一歩だと思う。

成功したいなんて、微塵も思わない。

けれど、私の生きづらさや生き方を何かに活かすことができないか、それが、過去の私を救うことや、擦り切れた雰囲気の中でも一緒にいてくれた1号への供養に繋がるのではないかと考えている。

とても都合のいい話だし、死後もエネルギーとしてしまうのはひどい話かもしれないけれど、そうやって都合よくすることでしか進めない私の未熟さを許したい。

茶色に白に、時々黒。

気遣い屋で、内弁慶で、我慢強くて、本当にしんどくなるまではギリギリまで元気に振る舞う、強いいきものだった。

自分が可愛いことをよく知っていて、あざとい一面もあった。

そんな1号も、10月7日に旅立ってしまった。

11年ときっちり半年楽しく過ごして、3日かけて少しずつ片づけていくように旅立っていった。

そのあとは本当に何一つ残らず、きれいな死に方で、最後までよくできたいきものだった。

翌日に火葬をして、お世話になった病院に連絡をして、その次の日には死亡届を出して、大量の写真の中から見繕った写真を200枚近くプリントして、アルバムを買って、アルバムにしまって、それでも足りない写真を見つけてはメモリに移動し、その翌朝にも、前日に見当たらなかった写真を見つけてはメモリに移し、そうしてまた100枚ちょっとの写真をプリントすることが決まった。

人間の死後はとても忙しく、それは儀式によって心の整理をつけるためだと認識しているのだけれど、なるほど、よく考えられていると思った。

食事をすることを忘れる、ということは、日常的にまぁそれなりによく起こることなので、それに対しては何も思わないのだけれど、今回、初めて、物が喉を通らないということを経験した。

これまで生きてきて、それなりに色々な経験をしてきたし、その中には拒食なんてこともあったのだけれども、それとは全く違っていて、口の中に食べ物を入れて咀嚼しているだけの状態が正常に感じられ、それを喉に送り込むという概念が消えてしまっているというか、そもそもその器官があるということ自体を忘れ去られているというか、そんな状態で、飲み込むのにとても力がいるし、実際に喉はとても抵抗してきているし、それでも吐き出してしまう訳にもいかなくて、なかなか難しいものだった。

 

子供の頃以来だろうか。

何度も何度もくる涙の波に従いながら生活を送っていたのだけれど、昨日、一人になった瞬間に、押し寄せるような波がきて、それこそ犬が吠えるように、泣いた。

 

1号のいない部屋は、なんだか知らない部屋のようで、雰囲気が全く違っていて、それは引っ越しに向けて片づけを始める直前の部屋のようで、とても落ち着かない。

たった2.7㎏の毛玉が1ついないだけで、雰囲気というものは、空気というものは、ここまで違うものなのだろうか。

それだけ1号の存在が大きかったということは、よくわかってはいるのだけれど。

 

してやれることはやってきたし、1号もそれに応えてくれて、それはもう、見えない道を導かれるように色んな事柄を選択してきたのだけれど、その中に後悔というものは一つもなくて、1号が本当に最後の少しの力まで振り絞って生き抜いたのは見ていてよく分かったし、だからこそ、なんでこの子がとか、戻ってきたらいいのにとか、そういう気持ちも不思議なほどに一つもない。

ただ、ここにいないという一つの事実だけが深く突き刺さっていて、それだけが、とても辛い。ただただ、辛い。

 

どうしても、小さくてモコモコしてよちよち歩くいきものが見たくて、出かけたついでに、ペットショップを覗いてみた。

確かにそこには、見たいと思ったいきものが存在してはいたのだけれど、それは私が求めているいきものとは違っていて、これじゃないというか、それはそれ、これはこれ、というか。

そのことで、1号はきちんと1号だったのだと、再認識した。

 

視覚というものは不思議なもので、写真や動画をみていると、そこにいるものだと錯覚するのか、不思議と気持ちが落ち着く。

当然、もう二度と触るということはできなくて、それもしっかり理解はしているのだけれど、それでも、なぜか落ち着いていられるのだ。

 

愛というものはとても不確かなもので、それなりに生きてきてもやっぱりよくわからないし、本当に存在するものなのか、私にもあるものなのか、全くわからない。

嫌な思い、寂しい思い、辛い思い、たくさんさせたと思う。

それでも、分からないなりに、私は1号を愛することができていたのだろうか。

分からない。

けれども、分からないくせに、なぜか、1号は私のことを愛してくれていたのだということは、伝わっているような気がしている。よく分からないけれど。

 

ここまで書いて、ふとテーブルに目をやると、1号の毛が絡まったものが置いてあった。

今、部屋には私と2号しかいないし、2号はずっと籠の中にいた。

特に、何かをしたわけでもない。

いきものが旅立つと不思議なことがあるという話を聞くことがあったけれど、こういうこともあるのだろうか。

 

まるで急ぐかのように、毎日、色々なことが着実に片づいていく。

これまで長い間立ち止まっていたけれど、1号が旅立ってしまってから、モーターが少しずつ回りだしているような感覚がある。

こうやって毎日片づけていきながら、少しずつ日常の占める割合が増えていって、そのうちまた、動き出せるようになるのだろうか。

 

さて、洗濯をしなければ。