小春日和

だめなひとの雑記帳

切り離すということ

最近、これがよくできているのではないかという風に感じるようになった。

それはそれ、これはこれという考え方である。

私の母は芸術肌系の人で、且ついろんなことがあったので、とても感情的だった頃がある。

その感情は、びりびりとした空気となって私に伝わるので、反抗期がくるまではいつも「いつ爆発するだろうか」と怯えていたような記憶がある。

反抗期になった瞬間もしっかり覚えていて、中学生日記でちょうど反抗期を扱う話を放映していたのだけれど、それを見て初めて私は「反抗してもいいのか」と思えた。

それくらい洗脳されていたのかもしれないが、それはまた別の話である。

そうして怯えながら、そして反抗を覚えて成長した私は、人の感情にとても敏感になっていた。

しまいには、感情どころかその人の動きで何を求めているかを察し、該当するものを渡すレベルだったが、それはとてもしんどかった。

自分以外の感情が自分に入り込んでくる。

感情は心の大きな動きである。

他人のそれまでを感じてしまったら、当然の話である。

それがいつからか、自分と他人をきっちりと分けて考えられるようになった。

いや、感情に引っ張られていただけで元々そうだったのかもしれない。

そして今も時々感情に引っ張られることがあるので、何も変わってないのかもしれない。

ただ、付き合う人間を自分で選べるようになってからというもの、生きるのが少し楽になったことだけは確かである。

人間関係に余計な気を使いたくないし、使われたくもない。

私にとって余計な気使いは、エネルギーを消耗するだけだからだ。

先々また変わるかもしれないけれど、ひとまず今はこれでいこうと思う。